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【読書】また一人、育て上げた~『馬廻役仁義 三河雑兵心得(拾)』(井原忠政)~

前巻で生死不明となった茂兵衛、やはり生きていました。まぁ続きがある以上、これ以降の巻が幽霊の視点で語られるのではない限り、生きているのだとは思っていましたが。

↑kindle版


正直今巻は、読みにくかったです。生還した茂兵衛が、あまり向いていない役割をあてがわれ、冴えない気持ちで過ごす巻なので。合戦のシーンが続くのが良いわけではありませんが、少なくともスピード感はありますしね。


なお前巻読了後、図書館で予約した今巻が届くのに、いささか時間がかかったため、その間に「どうする家康」の方では、どんどん話が進んでしまいました。その結果、またもや大河では放映済みのエピソードを、こちらで読む形になっています。でもかえって、大河で観た部分を復習する感じで、良いかも。まして最近の大河はほぼナレーションベースで、どんどん話が進んでいるので、「三河雑兵心得」シリーズを読むと、理解が深まります。


もちろん、大河とは解釈が違う部分もあります。例えば、石川数正の裏切りの理由。個人的には、「三河雑兵心得」シリーズの解釈の方が、腑に落ちます。
あと本多正信が急に家康の側近になった経緯も、大河より、こちらの方の説明の方が納得がいきます。


以下、印象に残った部分。


過去への後悔は口に出すことで寛解することもあるだろうが、将来の不安は言えば言うだけ増幅され、どつぼにはまるだけだ。

p.57

なるほど。


「俺を信じて歩け。手前ェの足元だけを見つめて歩け。昨日や明日を考えず。今この時、歩いていることだけに集中せい」
(中略)自分は今、日ごろ苦手とする禅坊主と同じようなことを喋っている。そこに気がついて茂兵衛は苦笑した。

p.60

マインドフルネスですね。しかし茂兵衛、相変わらず抹香臭いです。


そして茂兵衛、相変わらずの人たらしぶりで、またもやこの時代の有名人の一人から、仕官の誘いを受けます。すごいなぁ。


秀吉は天正十三年(一八七五)の七月十一日に関白宣下を受けた。(中略)
秀吉が、権大納言になったのは天正十二年の十一月で、翌十二月に茂兵衛の天幕に忍んできた折には「でなごん(大納言)じゃ」と幾度も繰り返していた。その後、内大臣に進んだのが翌天正十三年の三月だそうだから、異様な速さで官位を駆け上がったことになる。

p.148

こうやって整理してもらうと、よく分かります。それこそナレーションベースの大河を見ていると、いつの間に関白に?と思ってしまうので。


阿呆の花井くんの成長ぶりには、感動。自ら、自分に向いた役目を探し出すとは……。茂兵衛、また一人育て上げましたね。


家康から氏政への進物品の目録は以下の通り。
虎皮が五枚、豹皮が五枚、織物三百反、猩々緋の陣羽織、銘刀等々。
虎と豹は本邦には生息しないから、当然舶来品である。敷物にしてよし、甲冑や陣羽織、旗指物の装飾とするもまたよし、用途は意外に広い。

p.199

虎皮だけではなく、豹皮も日本に入ってきていたとは。ウィキペディアさんの情報によれば、豹の生息域は「アフリカ大陸からアラビア半島・東南アジア・ロシア極東にかけて」で、「ネコ科の構成種では、最も広域に分布する」そうですから、かえって虎より手に入りやすい可能性もありますが。
虎皮・豹皮の用途の広さにも驚きました。


氏政が当主のとき、北条領の年貢は二公八民であったという。北条家は収穫量の二割しか取らない。八割は農民のものとなる。これは破格だ。農民による隠し田が露見した場合、北条は、その者の年貢を五公五民に釣り上げた。ところが、それ以外の罰則はなく、翌年は隠し田も含めて二公八民に戻して収税したという。なんとも長閑な治世ではないか。
(中略)農民たちは北条氏の支配を喜び、武田や上杉、佐竹に占領されることを極度に恐れた。

p.211

納得のいく支配なら、支配される側も従うということですね。


以逸待労という四字熟語は、初耳でした。

子どもの顔立ちを意味する、子柄という言葉も。


天正十四年(一五八六)九月九日に、秀吉は正親町天皇から「豊臣」姓を下賜された。今後は、羽柴秀吉ではなく、豊臣秀吉と呼ぶことになる。(中略)
九月十五日。遂に家康は、大阪に出向く旨を秀吉に伝えた。で、それを聞いた秀吉は、すぐに動いた。
翌月の四日、大阪来訪を聞いた日から一月も経たないうちに、家康は朝廷から権中納言に叙されたのである。近衛の少将から特進の大抜擢であった。これは家康に対する配慮であると同時に、秀吉が朝廷すらも自在に操れることの示威行為の側面もあったやに思われる。

p.239

豊臣秀吉になったのは、このタイミングでしたか。秀吉が権力を握ってからの展開は、史実の上でも、ある意味ナレーションベースのように、どんどん進むのですね。大河がナレーションベースなのも、ある意味では仕方がないのかも。


大河ではバタバタと語られていったこの後の展開ですが、茂兵衛の視点では、どのように語られるのでしょうか。


見出し画像は、秀吉の銅像です。


↑文庫版



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margrete@高校世界史教員
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