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【読書】過去に学べ~『もしも徳川家康が総理大臣になったら』(眞邊明人)~

映画を観て原作もぜひ読みたいと思い、図書館で予約したのが、ようやく届きました。

↑kindle版

届いたら、あまりの分厚さに引きました。これを2週間で読めるのか不安になったものの、読み始めるとするする読め、ほっとしました。


2020年、コロナで首相が亡くなってしまい、代わりにAIとホログラムで復活させた徳川家康をはじめとする歴史上の偉人が内閣を作る、という荒唐無稽な設定ですが、結構勉強になってしまいました。何せ「この物語には、歴史や政治の用語が多数登場する。(歴史や政治になじみがない人でも楽しめるように注釈がいれてある)」(p.14)という親切さなので。


冒頭から、おおと思いました。

日本においては、420年前に一度だけ、国の成長を意図的に止めた人物がいた。それが、徳川家康である。(中略)
家康は意図的に当時の”領土を拡大して成長する”ことを止めた、世界でも稀に見る異質なリーダーであった。
結果、江戸時代は265年間も続く、太平の時代になった。
文化遺産に認定されている歌舞伎や能、落語、浮世絵など海外からも評価が高い日本の文化の多くはこの時代に生まれ、当時の江戸は世界最大の都市だったと言われている。(元禄時代、世界の二十人に一人は日本人だったとの説もある)
江戸幕府は「パックス・トクガワーナ(太平の徳川)」と海外からも称賛されるほど日本史上最も優れた組織だったのだ。

pp.5-7

能は室町時代に生まれていたし、「パックス・トクガワーナ」という表現も初耳です。もし本当にあるとしたら、「徳川の圧倒的な軍事力を背景に、他の勢力が戦争をしようと思わなかったから達成された平和」という意味になってしまうので、そういう意味でも謎です。
つまり、ちょいちょい変だなぁと思う部分もありますが、面白さの前では重箱の隅をつつくような瑕疵なので、まぁ良いでしょう。


「徳川内閣組織図」を見て、あれと思いましたが、映画版と一部違うんですね。法務大臣は映画版では聖徳太子でしたが、原作は藤原頼長、文部科学大臣は映画版では紫式部でしたが、現作は菅原道真。藤原頼長はマイナーなのでメジャーな聖徳太子に変えたんだろうし、紫式部にしたのは大河ドラマにうまく引っかけるためでしょうね。他に女性の閣僚が北条政子しかいないので、女性の閣僚をもう一人、という意味もあったかもしれませんが。

ちなみに藤原頼長は、こういう人です。

頼長は平安時代、栄華を極めた藤原家の長者として政権の中枢にいた男である。法を中心に据え、怠惰な朝廷の政治に対して強烈な綱紀粛正を行った。その苛烈な性格が災いし、政変により無念の最期を遂げた。頼長はいわば日本史上において有数の法の権化といってもよい。

p.55


歴史にも、政治にも、無関心な日本人はいるかもしれないが、無関係な人は、いない。

pp.14-15

この言葉が、最後に効いてきます。


織田信長という男は江戸時代を通じてあまり認知、評価をされていなかった。信長の評価が上がるのは現代に入ってからである。江戸時代の人々にとっての織田信長は、『太閤記』に出てくる秀吉の主君といった程度であり、現代の感覚でいえば信長によって桶狭間で討ち取られた今川義元くらいの評価である。

p.42

へー。


綱吉は、当時、あたりまえのように行われていた捨て子や行き倒れの根絶に取り組んだ。結果、明治維新まで捨て子や行き倒れに対する保護が行われた。(中略)
日本における綱吉の不当な評価は、彼によって粛清された政敵たちの手によるものである。綱吉は、自分の政策に反対する者、または無能な者には容赦がなかった。綱吉の跡を継いだ家宣は、生前から綱吉との関係が悪かった。(中略)いつの時代も、歴史は権力によって塗り替えられるものなのだ。

p.44

綱吉の政治は、当時、綱吉と実際に謁見したドイツの医師であるケンペルによって伝えられ、ヨーロッパでは「中世最も優れた政治家」として称賛されている。この頃のヨーロッパの政治家は福利厚生というような概念はなく国民の保護などの意識はまるでなかった。国民などは「搾取」の対象でしかなかった。

p.45

綱吉は「生類憐みの令」で有名であるが、彼の基本的な政治スタンスは、経済対策であった。綱吉は、危機的な幕府財政を立て直すため、新田開発を推し進め、米の収穫量を増やし、同時に荻原重秀を抜擢し、重秀の施策である貨幣改鋳で、貨幣の流通を増やし、それによって景気の浮揚に成功した。彼の治世の前半は江戸時を通じて最も経済が潤ったいわばバブル時代でもあった。そして、綱吉は文化の育成にも積極的であり、彼の時代に歌舞伎や能、芝居小屋、文学などは著しく発展し、元禄文化と呼ばれ、現代の日本の文化の基礎となった。

p.155

綱吉は、自身の将軍としての在任期間中、当時の幕府の役人(地方役人も含む)の実に3分の2を入れ替えたほどの能力至上主義者である。能力がないと思えば、どんな家柄の者でも罷免し、能力があるとなれば、出自を問わず登用した。

p.168

ほほう。


江藤新平についても、名前は知っていたものの、よく分かっていませんでした。

江藤新平(明治時代) 明治政府の初代司法卿(法務省の前身である司法省の長官)。強烈な意思のもと新国家を作り上げようとしたが、政変に巻き込まれ、故郷佐賀の不平士族に担ぎ上げられて佐賀の乱を起こし、処刑される。日本史上、最後のさらし首になった男。

p.56

江藤と大久保は明治新政府にあってことあるごとに激突した。法治国家を目指し、薩長による藩閥政治を否定した江藤と、強力な政治力による富国強兵を目指した大久保では志す国家観が違った。

p.57

江藤新平が佐賀の乱を起こさなければ、明治政府は、そして今の日本は違ったのかもしれません。作中の江藤が言うように、龍馬が「用心を怠り、暗殺などされたため、薩長の者どもが政を私ごとにしたのだ」(p.57)というのも当たっているかもしれませんが。


合間合間に偉人の名言が載っているのですが、これがまた良いです。

天下は天下の人の天下にして、我一人の天下と思ってはならぬ。家もまた、一家の人びとの家であって、我一人の家ではない。何ごとも、我一人では成り立たぬものと知れ。 徳川家康

p.64

世の政治家に、心に留めておいてほしい言葉ですね。


通常、重要な政策決定については事前に記者クラブに情報が流され、ある程度、先行報道されるのが常だ。先に報道することによって、ある程度、国民に理解を求めること、記者会見での混乱を防ぐのが狙いだ。

p.70

官房長官 内閣の大臣のひとり。毎週2回開かれる閣議で議長を務め、内閣で決定したことを国民に伝える役割もあるので、毎日午前と午後の2回記者会見を開く。政治と国民をつなぎ、内閣の運命を左右する重要なポスト。

p.71

官房長官が毎日2回記者会見を開いているとは知りませんでした。そしてその重要なポストに、最強内閣では坂本龍馬が就いています。


月代 (前略)室町時代に、烏帽子や冠をかぶる際に蒸れるため、額の部分を剃り始めた。戦国時代に入り、武士がかぶとをかぶることが多くなると、一気に広まり、江戸時代には町民や農民もこのスタイルを真似る者が増えた。

p.81

月代を剃り始めたのが室町時代とは知りませんでした。それ以前は、蒸れを気にしていなかったというか、耐えていたということ?


日本は歴史的に見て、世界でもトップクラスの官僚国家であった。特に、江戸時代から明治にかけての時代は、官僚の力が最大限に活かされた時代であった。実質上の鎖国時代でありながら、世界最大の都市”江戸”を筆頭に、災害や飢饉などの困難に見舞われながらも平和を維持し得たのも類まれなる組織力を持っていた官僚(地方自治も含めて)たちの力であったし、開国し、列強と対等に渡り合うことができた明治政府は、徳川幕府の官僚を大量に採用し、その能力を活かしきった。

p.93

政策とは政治家の決断を官僚が遂行して初めて成立する。いかなる政策も官僚が機能しないと無意味なのだ。

p.94

なるほど。


町奉行は、ドラマで見られるような「裁判官」ではなく、いわば都知事のような強力な権力を有する高級官僚である。

p.94

ほうほう。


指示される側から不満が出るのは、指示が曖昧であるか、指示を出す側が迷っているが故に、指示に従う者が従った未来にどんなメリットがあるか、想像できないからである。

p.98

これ、分かる気がします。


綱吉に仕えた荻原重秀のことも、初耳でした。

重秀は、現代の金融の仕組み(引用者注:名目貨幣)を江戸時代の中期にすでに理解していたことになる。
また、重秀は不況の対策として東大寺大仏再建の公共事業を行った。不況期における公共事業の積極的な施行も現代の経済政策ではスタンダードだが、これを提唱したのは、高名なイギリスの経済学者ケインズで1900年代に入ってからのことである。重秀はこれを実に200年前に実行していたことになる。
しかしながら、重秀はその独創的な発想と異例の出世を妬まれ、綱吉のあとを継いだ第6代将軍家宣とその閣僚たちに疎まれ失脚に追い込まれる。重秀は秀才ゆえにおのれを曲げないプライドの高い性格であった。そのため、彼をかばう人も少なかったと言われる。そのあたりは、今回のパートナーである三成とも相通ずるものがあった。

p.103


作業を細かく分け、ひとつひとつの作業をシンプルに担当させる。決してマルチタスクにはさせない。シングルタスクによる能力の差は是正しやすく、課題発見しやすい。マルチタスクは、一度に複数の出来事を判断しなければならないので、当然、求められる能力も失敗する確率も高くなり、課題の発見は難しくなる。結果、是正も適切でないものになる可能性が高まる。あくまで1人にひとつの仕事をさせる。その仕事を管理する者にも、決して複数の管理をさせることはしない。あくまでも同じ種類の仕事を管理させる。

p.109

これ、すごく納得がいきます。福島第一の廃炉作業を始め、これを徹底すれば、無駄なく進む仕事はたくさんあるでしょう。


徳川吉宗についても、初耳の情報がありました。

綱吉と同様に能力主義の人事、法整備、教育改革、新田開発などの公共事業。歴代将軍の中で最も多くの政策を行った将軍である。5代将軍綱吉とは紀州徳川当主として面識があり、吉宗は綱吉を尊敬し、その政策の多くを引き継いだ。

p.157

5代将軍と8代将軍ではまったく時代が違うかと思いきや、面識があったというのには驚きました。


家康が感じたのは、政治に関わる者たちのどうしようもない”軽さ”であった。戦国の世を生き抜いた家康にとって、トップの意思決定というものは限りなく”重い”ものであった。意思決定者から一度出た言葉は、瞬く間に現実になる。その結果、場合によっては何千、何万という命が消えてなくなることもある。だからこそ、意思決定者は自分の判断に対してギリギリまで考え抜く。(中略)口に出したら何があってもやり切るのだ。しかし、現代の政治家たちは思い付きのような言葉を吐き、それを平気で反故にする。政治家の下で働く官僚たちは、当然ながらそんな政治家の言葉を信用しない。

p.165

重要な指摘ですね。


人は多いが、その人の中にも、これぞと思う人はいないものだ。しかし、どうせ、この世に生まれたからには、その、これぞと思われる人になれ。いや、そういう人になるように、人を教育せよ。 徳川家康

p.177

教育に関わる者として、心に留めておきたいです。


醍醐の花見 秀吉が没する半年前に京都・醍醐寺で開催した花見大会。今で言う「桜を見る会」。千三百人ほどの女性を招き、男性は、秀吉と息子の秀頼、前田利家のみだった。現代の花見の始まりと言われている。

p.197

男性の参加者が3人とは知りませんでした。


滝沢馬琴が「ほとんど原稿料だけで食べていけるようになった最初の著述家と言われている」(p.205)というのも、初耳でした。


「不安とは、何もせんもんがかかる病じゃ」
「自分では何もできん。他人がなんとかしてくれるか、神さんがなんとかしてくれるか、すべて人任せじゃ。それゆえ心が弱くなる。自分がすべきことを自分で決めた人間はたいがいのことはなしとげられるぜよ」

p.214

作中の坂本龍馬の言葉ですが、なかなか重いです。


作中、SNSでの炎上をきっかけに、女性が命を絶つという出来事があるのですが、それについて総務大臣の北条政子が国民に向けて語る言葉が良いです。

「言葉は、100万の軍勢にも勝る力を持つこともあります。そのことを私は身をもって知っています。言葉は刀であり槍であります。亡くなった娘は何百万という軍勢になぶり殺しにされたようなものです。この時代は誰もが好きなことを言ってもいいとされています。それは、誰もが抜身の刀や槍を持っているのと同じなのです」

pp.240-241


平賀源内が土用の丑の日に鰻を食べる習慣の発案者なのは知っていましたが、そもそも「丑の日には『う』のつく食べ物を食べればいい、という信仰」(pp.304-305)が先にあったからだとは知りませんでした。


芸能人の不倫や不祥事を取り上げると一気に視聴率は上がる。それは、人間が持つ「処罰感情」というものを増幅させるからだ。論理や倫理はそれを正当化する免罪符にすぎない。

p.348

本当に、そうですよね。


「今、俺たちが動かなければ、俺たちの未来を過去の者だけに委ねてしまうことになる。俺たちは偉大な英雄でも賢者でもない。でも今を生きている。今を生きている者が未来をつくるんだ」

p.350

これまた真実。


本多正信が、「家康が1616年6月1日に亡くなると、その49日後に後を追うようにして亡くなった」というのも知りませんでした。


理沙は、記者たちが求めるものは”大衆受けする熱狂”であることがわかっている。それが「何をもたらすのか」ではなく「何がウケるのか」、それだけなのだ。メディアは「見せなければいけない事実」ではなく「大衆が見たい幻想」を求めているのだ。

p.354

こんなメディアでは困りますが、そうなってしまっていますよね。


原作は映画とは展開が異なる部分があります。でも伝えたいメッセージは同じですね。最後の徳川家康の記者会見での言葉は、なかなか良いです。

世の上に立つ者が一番考えなければならぬのは、川の流れを壊さず、そして確実に川を前にすすめるために、堤を調整することじゃ。壊すのは簡単じゃが、守るのは至難の業じゃ。いっときの成功ではなく、長い時をかけ少しずつ手直ししてゆく。(中略)上に立つ者は今ではなく、未来を見よ。そして未来を見るために過去を知れ。(中略)今なすべきことは過去を探せば必ずみつかる。どんな難しい状況でも必ず過去に誰かがその状況に出会っておる。それを知ればおのずから、策はみつかる。
(中略)
自由と不自由、この折り合いをつけることこそが人を率いる者に必要なことじゃ。
人はすべからく矛盾しておる。矛盾は永遠になくならぬ。その矛盾を理解し、その矛盾を少しでも縮める。それがこの時代の上に立つ者の役目じゃ。

pp.412-413

上に立つ者だけではなく、すべての人が過去を知る必要があるから、私は歴史の教員をしています。


龍馬の最後の言葉も、心に染みます。

「おまんの自由の裏側には不自由なもんがおるということを肝に銘じることじゃ。そう思えば、自分の不自由を受け入れることができるきに。皆が自由を手に入れるためには、皆が少しずつ不自由を受け入れる必要があるぜよ。(中略)おまんら一人ひとりがこの世に関わっておるきに。一人ひとりが他人の自由のためにひとつでもええから不自由を引き受けることじゃ。そうすることで、等しく皆に自由が行き渡ることになるぜよ」

p.424

というわけで、選挙に行くこと、特に期日前投票をお勧めする記事を載せておきます。


なぜ第1部と第2部で字のフォントやポイント数が変わるのかは最後まで謎でしたが、まぁそんなことはどうでも良いですね。厚さの割には読みやすい本でした。


見出し画像は平賀源内にちなみ、鰻重にしてみました。


↑単行本(ソフトカバー)



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margrete@高校世界史教員
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