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”無用の用”の大切さ~勝手に応援!「ビッグイシュー日本版」(VOL.420 2021.12.1)~

「ビッグイシュー日本版」を勝手に応援する記事第23弾です。そもそも「ビッグイシュー日本版とは何か」をご説明した第1弾は、以下をご覧ください。


今号の特集は、「戦争を克服する ゲスト編集長 池内了」です。


今号はまず、「スペシャルインタビュー」が印象的でした。クイーンのロジャー・テイラーへのインタビューなのですが、フレディについて語った部分が特に感動的で、通勤のバスの車内だったのに、ちょっとだけ涙が出てしまいました。


「特集」では、池内了さんと藤原辰史さんの対談が、ものすごく勉強になりました。特に心に残ったのは、以下の部分。


藤原 今回、自然科学の人たちは疫学やウイルス学の知識があまりにも前面に出すぎて、コロナ禍をソーシャルな問題として考える力がやせ衰えていたと感じました。一方で、文系の人たちも同様に政策批判はしても、コロナ禍をソーシャルな問題として考えるという、消費されない思想を身につけてこなかった。科学や学問の総合知的な足腰の弱さが露呈したと、自戒を込めて思いました。

文系・理系の枠を越えて、物事を考える力を付けねばならないですね。その点慶応義塾大学の「生命の教養学」という講座は、それに挑んでいると言えるのではないでしょうか。


あと、愕然としたのは池内さんの以下の言葉。

1962年には、米国が太平洋上空で水爆を爆発させた実験によって強い電磁波が発生し、遠く離れたハワイで停電が起きました。これは危ないというので、大気中の原水爆実権を禁止する原因の一つになったんです。

生態系への影響とか、人道的理由ではなく(まぁそれもあるはずですが)、そういう実際的な理由が、1963年に部分的核実験禁止条約(PTBT)が調印された理由だったとは……。


池内 荘子の言葉に”有用の用””無用の用”というのがあります。”有用の用”は徹底して評価されるような役に立つことで、”無用の用”は今は役に立たないけれど、むしろ役に立たないからこそ役に立つかもしれないこと。(後略)
藤原 やっぱり”無用の用”こそが、私たちの人生に艶を与える世の中の潤滑油になるんじゃないでしょうか。

藤原 本来、科学はプロセスが大事なのに、今はすぐゴールを設定したがる。それが人間の知性を貧困にした気がします。納得できるまで時間をかけて出した結論が尊重される社会であってほしいものです。

この2ヶ所は、ぜひ心にとめておきたいです。


「ビッグイシュー日本版」のバックナンバーは、街角の販売者さんが号によってはお持ちですし、サイトからは3冊以上であれば送付販売していただけます。


コロナ禍のあおりで、路上での「ビッグイシュー」の販売量が減少しているそうです。3ヵ月間の通信販売で、販売員さんたちを支援することもできます。


もちろん年間での定期購読も可能です。我が家はこの方法で応援させていただいています。


見出し画像は、今号が入っていた封筒に貼られていたシールです。「小商い」で発送作業をしてくださった販売者さんのお名前の部分は、念のためにモザイクをかけさせていただきました。



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