「遺跡発掘師は笑わない」シリーズの第18弾です。今回の舞台は青森です。
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読み始めてじきに「おお」と思わされたのが、無量の言葉。
あのやさぐれていた無量が、こんなことを言うようになるとは、と感慨にふけらされると共に、同感だなぁと思わされました。
これ、認識していませんでした。福島県や愛知県など、他の県でもこういう構造って、見られますよね。現在の自治体の区分なんて、しょせんお役所の都合ということです。
さすがに発掘を宝探しだとは思っていませんが、データサイエンスとまでは思っていなかったので、襟を正される思いでした。62ページにも「土の中から出てきた遺構や遺物という『事実』を地道に積み重ねて真実に迫る考古学」という記述がありました。
湧説という言葉は初めて知りました。
藤枝(の口を借りた水菜さん)が、竹内文書の目的は「世界に大きな力と影響力を持つキリスト教やイスラム教より、日本の天皇が上である」(p.112~113)と示すこと、としたことには、非常に納得がいきました。
この忍(の口を借りた水菜さん)の言葉は、現代人への警句ですね。
藤枝氏、語りまくります。無量が父親を少し理解するほうに向かった瞬間です。萌絵が言うとおり、「言葉は辛辣だけど、言ってることは割と正しい」(p.188)んですよね。
明治政府が明治四年に出した「古器旧物保存方の布告」は初耳でした。
出さないよりはましですが、そもそも廃仏毀釈なんてするべきではないですよね。さらにその後、古社寺保存法も作ったそうですが、遅いです。
生徒を見ていると、時に「なんでそんなに浅い見方しかできないんだ」、「一方的な見方しかできないんだ」といらだつこともありますが、いずれ「経験を重ねてきて、物事に対する解像度があが」れば、いろいろなものが見えるようになるのかもなと思いました。自分自身もそうだったように。
長い引用になってしまいましたが、藤枝氏、というか水菜さんの意見に同感です。
「おまえたち親子が手を取り合えば、きっといい仕事ができるだろうに」と言われた藤枝・無量親子ですが、まだその日は遠そうです。でも和解への糸口のようなものがつかめた巻でした。
見出し画像は2018年に東博で開催された「縄文 1万年の美の鼓動」展で買ったポストカードとピンバッジです。
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