「三河雑兵心得」シリーズの最新刊、ようやく図書館での順番が回ってきました。
↑kindle版
今回もいつも同様、時代小説に不慣れな読者でも分かるよう、要所要所で用語説明があるので、分かりやすいです。
聚楽第に、「不老長寿の『楽(たのしみ)』を『聚(あつ)』める『第(やしき)』との願いが込められている』(p.24)とは知りませんでした。
ほうほう(←茂兵衛の真似)。
生徒や若い先生に対し、常々思うことです。とはいえ、どうしても「なんでそういうことをするの!」という苛立ちが先立ってしまいがちですが(苦笑)。
なるほど、分かりやすいです。
授業の進め方や教える内容も、まさに「ほんのここ十年か十五年で」様変わりしています。パワポを使うなど、もちろん取り入れるべきことは取り入れますが、同僚の授業内容を見て、「もっと他に、優先して教えるべきことがあるだろうに」と思ってしまうこともあります。
茂兵衛の気持ちがよく分かります。「もう……婆ァなんだわなァ」とまでは思いませんが。
ややこしいなぁ。そのややこしい唐名を、一応把握している茂兵衛がすごいです。そもそも何で唐名で呼びかけなきゃいけないのでしょうね。
ほうほう。
治部少輔とは石田三成のことで、作中では浅井侍の三成が大久保忠世を通じ、豊臣家内部の情報を徳川に漏らしていたということになっています。フィクションかとは思いますが、実際の三成もそうだとしたら、彼の行動の意味合いが違ってきますね。
こん服を秀吉が着たとは知りませんでした。そういうことをしてしまうところが、秀吉の品のないところですよね。
二公一民の税率って、ひどいですね。元は百姓なんだから、絞られる辛さは分かるだろうに、そういうところが嫌です。
いつの間にか茂兵衛が三百人近くの人を抱えるようになっていたとは。1巻の暴れん坊時代を考えると、隔日の感があります。
氏郷のキリシタン信仰を指しての茂兵衛の思いです。つくづく1巻の茂兵衛を思うと、成長したものだと思います。もっとも茂兵衛は元々、成長の種とでもいうべきものを持っていましたが。
へー。
聚楽第が秀吉によって破壊されたとは知りませんでした。しかしこの時期の秀吉、本当に常軌を逸していますね。
真田親子って、豊臣姓を受けているんですか。
そのまさかなんですよ。
石川五右衛門の釜茹でから始まる陰惨な巻でしたが、いよいよ徳川の世が近づいてきました。でも茂兵衛はまだまだ働かされるんでしょうね。
見出し画像は、伏見城です。作中のものとは、だいぶ違いますが。
↑文庫版