【読書】鉄砲ですら時代遅れ~『長篠忠義 北近江合戦心得(三)』(井原忠政)~
「北近江合戦心得」シリーズ第3弾です。
↑kindle版
以下、印象に残った箇所です。
信長が天下統一を果たしたら、どのような日本になっていたか、見てみたい気がします。
以下の弁造の言葉には、驚きました。
雑兵は、鉈や鋸も戦場に持参しなければいけないのですね。もっとも、その意味はじきに分かりました。長篠の戦で信長軍が築いた馬防柵は雑兵たちが築いたものであり、そのためには鉈や鋸が確かに必要です。
こういう心境に達したいものです。ただし与一郎はそう考えつつも、真にこの領域に到達したわけではありませんが。まぁまだ若いしね。
これ、知りませんでした。
この時代、すでに弓が「古色蒼然たる得物」だったとは意外でした。それだけ急速に鉄砲が普及したということでしょうか。
と思っていたら、こんな記述も。
いかに武器の変化、それに伴う戦い方の変化が急速だったかということですね。
この説明、すごく分かりやすかったです。
162ページで茂兵衛が登場したのには、驚きました。同じ時代に、すぐそばで生きているのだから、どこかですれ違うのかなぁとは思っていましたが、ここで来るとは。「三河雑兵心得」シリーズだと、四巻の部分ですね。
今巻も面白く、夢中になって読み進めていたのですが、ちといただけないところがありました。217ページで唐突に義介が登場したところです。「新参の義介」とはなっているものの、これまで出てきたかなぁと首をかしげていたら、223ページで義介を召し抱えるシーンが出てくるのです。
まぁもともと義介とは顔見知りだったし、23ページで義介の健脚に触れられてるのが伏線だったのでしょう。正式に召し抱える前にすでに轡取りをしてもらっていたと取れなくもありませんが、「新参の」となっているしなぁ。編集者や校正の人は、気づかなかったのでしょうか。218ページの小一郎は、与一郎の誤植でしょうけど。唐突にここで、秀吉の弟の長秀が登場するわけもないし。
まぁその程度のことが玉に瑕に思うくらい、全体としては非常に面白かったです。
後に『信長公記』を書く太田牛一(この時点では又助)が、与一郎に言った言葉です。この後、与一郎が又助に忠義について質問します。まだ今のところ、与一郎にとっての忠義が変化はないようですが、いろいろ考え始めているので、今後、代わっていくのかもしれませんね。
見出し画像は岐阜市のマンホール蓋です。今巻で岐阜城が登場するので。
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