口蓋帆の筋肉が動かないと
ちゃらり~鼻からぎゅ~にゅ~。
って言ったら、みなさんに白い目で見られました。
関東の人怖いですよね(関西だったら鼻で笑われる)。
ノーリアクションの怖さを知りました。
さて、今日の話題は、文法の授業の準備に使った本の紹介です。
中俣尚己(2014)『日本語教育のための文法コロケーションハンドブック』くろしお出版 https://www.amazon.co.jp/dp/4874246303/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_CDHVJGGZKVFRGRSDP2AR
●この本はどんな本?
この本は、コロケーション、つまり、ある語や表現がどの語と結びつきやすいかをコーパスの使った分析結果で示したものです。特に、初級日本語教科書の語彙と日本語の書き言葉文章との比較して、その差に着目しているところがとても興味深いです。
●使い始めたきっかけ―受身を例に
先日、文法の授業で受身について扱いました。受身に関しては、<直接受身と間接受身の2つがあり、直接受身は「非情の受身」・「直接対象の受身」・「相手の受身」、間接受身は「持ち主の受身」「第三者の受身」の合計5つに分けられます。>という文法的事実を教えることになっています。
しかし、これらは等価のものとして扱うべきでしょうか?受身は、初級の日本語教科書の代表格『みんなの日本語』の37課では、①相手の受身→②持ち物の受身→③非情の受身の順に提出されます。つまり、初級ではすべて学ぶわけではないということです。
となると、文型シラバスでは「混ぜるな危険!」なわけですから、
①5つのタイプを見分けられる力
②異なる用法の文や使えない語彙が混ざっていないか確認できる力
以上の2つが必要となります。その次に、なぜ初級はこの3つを学ぶのかという疑問が湧いてきました。また、文型によって、語彙に制約がありますが、どのような語彙を使って例文を作ればよいのでしょうか。そこで前掲の本に当たることにしました。
●どんなことが活用できるのか
中俣(2014)によると、「受身」に関して日本語初級教科書では、「開かれる」・「建てられる」・「押される」が、一方、コーパスでは「言われる」・「される」・「行われる」がTOP3で、TOP10まで見ても双方で重複した語彙はありませんでした。つまり、語彙の頻度を見ると、教科書と現実に乖離が生じているといえるのではないでしょうか。
また、一般的に「受身」=「迷惑・被害」が象徴的な意味だとは思われていないでしょうか。ところが、「見られる」は「考えられる」の意味で頻繁に用いられ、類似した表現の「思われる」などとともに、客観性を表す表現として用いられることが多い(前掲 p.233-234)ことが示されています。つまり、教科書の提出順と使用の頻度にも直接関係があるとは言えなさそうです。
●まとめ
このようなことがあり、文法の仕組みを知ることと、指導のポイントを学ぶことはかなり差があることが分かりました。また、感覚的によく使うと思っていても、言語使用の実態をデータで見たときに、それは必ずしも正しいとはいえないかもしれません。この視点は作例をする際に重要なことになります。加えて、教科書にあまり使わない語彙が出てくるのは、文型の意味理解に力点が置かれていることへの認識につながります。
そういうわけで、<文法体系の知識>+<教育現場の実際(教科書での扱いなど)>+<日本語の使用実態>の三つを重ね合わせてどのような知識が必要かが見えてくるという風に考え始めました。
次回は、別の例についてお話したいと思います。感覚的に使わない、データが少ない=教えなくていい…???