最新の記事

固定された記事

外国人児童生徒教育とその周辺

シラバス書いた。

「文化的言語的に多様な子どもの教育のための汎用的言語能力の参照枠の構築」成果報告会に参加しました。

最近「日本語が苦手な」外国人児童というのが急速に広まっている?日本語は野菜じゃない。やってもできないなら苦手ってもいいんだろうけど、やってもないのに苦手というのは、子どもの能力や努力不足を責任にして、将来の可能性を閉ざす印象を与えていて心の奥底から不愉快。

登録日本語教員の経験者講習を受けていて、なんかやだなっておもったの、日本語教育全体の教師のリフレクション圧力かもと気づいた。内省と言いつつある方向に超強力に誘引されている気もするし、内省行為自体の侵襲性の高さみたいなことももうちょっと考慮すべきでは?

日本語教育では「人と社会をつなぐ」というフレーズをよく聞くし、納得もしていた。でも、今思えば、学習者はそれぞれ趣味だバイトだご近所だと、教師や学校にかまわずにつながってるし、つながっているから生きているし、むしろ、つながらずに存在するとは考えにくい。そこに「日本語」が要る理由は?

日本語教師の人たちが言う「多様性」って概ね言語的文化的な多様性に終始してるように思う。むしろ、それ以外の学習者の多様性については割と無頓着だったり、忌避していると感じることさえある。ちなみに、学習/発達障がいには比較的関心が高いようにも感じる。責任回避と排除のツールとして。

  • 「日本語の先生」の先生ー日本語教師養成講座の講師の裏側

    27 本
  • 外国人児童生徒等教育メディアレビュー

    4 本