人と暮らす、 "まち"と暮らす
私は大阪生まれ大阪育ち。
途中でちょっと沖縄に住んだ。
そしてずっと海外に憧れがある。
高校の時は地理を専攻していて、すごく得意な科目だった。
世界史も好きだった。
ここまでで伝えたいのは、私はいろんなまちや歴史や文化に触れてきたということ。
そんな私が暮らしたいまち。
それは
凸凹がはまるまち。
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1. "人"の凸凹がはまるまち
人には凸と凹が存在している。
凸が得意なこと・好きなことで、凹が苦手なこと・好きじゃないこと。
例えば私の凸3つ。
①家事が得意
②パソコン作業が得意
③インテリアやファッションのコーディネートを考えるのが得意
そして私の凹3つ。
①料理は得意じゃない
②好きだけど人とたくさん話すのは得意じゃない
③虫が苦手
私の凸①②は家族の凹を補っている。
逆に私の凹①②は妹の凸で補ってもらっている。
他にも誰かの凸は誰かの凹で、
誰かの凹は誰かの凸。
当たり前のことだけど、そうやって人は補い合い、必要とし合い、助け合っている。
だけど昨今、地域の繋がりが減っていったり
コロナで物理的に人と繋がることができない状況が続いている。
昔は地域のつながりに煩わしさもあったからどんどん廃れていったということもあると思う。
私の凹②でも書いた通り、私もできるだけ一人でぼーっとしたい。
だけどやっぱり誰かがいるっていい。
私は実家で暮らしているから、部屋に一人でいても他の部屋に家族がいるのを感じられる。
一人だけど一人じゃない。
その感覚はすごく大事だなと思う。
みんながいないひとりの時間は落ち着くけど、その時間が長いと寂しくもなる。
全員が全員私と同じじゃないとはわかっている。
だけど人は一人では生きられない。
それは絶対だと思う。
私が好きなドラマの「#家族募集します」でも同じようなことを言っていた
1人でいるのにみんながいるみたい。
この感覚がすごく理解できた。
私みたいな一人になりたい人も、人とたくさん話していたい人も、そこそこの関わり合いでいい人も
みんなの凸と凹がはまるまち。
みんなの凸と凹を尊重しあえるまち。
まち全体が実家のような、そんな人の繋がりができる。
それが私が考える一つ目の凸凹がはまるまち。
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2. "建物"の凸凹がはまるまち
テトリスみたいにいろんな形の部屋があってそれを組み立てていくマンションがあったら面白くない?という、思いつきから出たこのアイディア。
床が急に深いところがあったり、逆に天井が異常に高いところがあったり。
同じマンションなのに同じ間取りの部屋がひとつもない。
いきものみたいに個性豊かで。
外から見ると壁の色もカラフル。
本当にまるでテトリスのような。
自分でこの形の部屋に住みたいと思ったらどんどん積み立てていける。
もしこんな形の家があったら、私なら下の段に秘密基地を作って遊ぶだろうなあと思ったり。
母は天井が高いのが好きだから、こんな形だったら開放感があった気持ちいだろうなあと思ったり。
他にも天井は低くても平家のように広い家がいいっていう人もいると思う。
でもこれ全部同じ大きさのブロック4個分だから広さは変わらない。
面白くないですか?
同じものを与えられてるけど、自分に合うように構築していく。
自分の思いをどれだけ表現してもいい。
それぞれが違うのにみんなで支え合わないと成り立たない建物。
見ても楽しい、暮らしても楽しい。
そしてそんなまちにいるからこそ、自然と違いを楽しめる。
受け入れられる。
助け合える。
そんなみんなで作っていくまち。
これが私が考える2つ目の凸凹がはまるまち。
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人と暮らす、まちと暮らす
一番最初に戻るけれど、たくさんのまちや歴史や文化に触れてきて感じたことは、違いが多いということ。
文化が違う。
言葉が違う。
食が違う。
他にもいっぱい違う。
でも逆に考えたら、同じところも多い。
それぞれが暮らしてくために文化を作ってきたところは同じ。
みんなと意思疎通をはかりたい、伝えたいから言葉ができたところは同じ。
生きていくために、楽しむために食があるのも同じ。
他にもいっぱい同じ。
こんなふうに違いも同じも表裏一体で、人がそれぞれ自分の凸と凹がだしあって、他の誰かとはまって、たくさん重なれば
今まで見たこともない景色が見れると思う。
そんな世界をわたしはみたい。
きっとすぐそこまできている。
人と人の凸凹がはまるまち。
これが私が”暮らしたい未来のまち”、いや
”きっとすぐそこにきている暮らしたいまち”だ。
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