『その世とこの世』とこの夜のこと
詩人の谷川俊太郎さんとライターのブレイディみかこさん。ふたりのお手紙交換が一冊になった『その世とこの世』。
中に、おばけと幽霊についてのくだりがある。
それがとってもかわいい解釈で、読みながらにこにこしてしまった。
ハロウィンの夜なので、ここに召喚してみたい。
英国ブライトン在住のブレイディみかこさんが
と綴り、そのあと
と続ける。
とも。
幽霊って、私の中ではこれまで、かげろうのようなイメージがあった。その幽霊に向かって、元気だとかエネルギーだとか持久力と評しているブレイディさん。
そう言われると、確かに!!と思えるのもおもしろい。とてもゆかいな気持ちになる。
とってもはりきった存在なのかもしれないと思うと、幽霊=こわい、不気味ってイメージは改めちゃいそうだ。
すごくハツラツしている人に会うと、気圧されそうな、パワー吸われそうな気分になることがある。もしかしたら、幽霊に対しての恐れは、その類に当たるのかも。
谷川俊太郎さんは、おばけと幽霊について
と綴る。
えー何それ!でも本当だ、そんな感じがする!!
こどもたちにもこの話をしてみた。
すると、ハロウィンのお菓子のパッケージをまじまじと見つめ、
「これは足があるけんおばけやん!」
「こっちは足がないけん幽霊かも。でも、足は隠れとうだけでやっぱりおばけかも!」
と盛り上がっていた。
谷川俊太郎さんの視点やことばの選び方は、こどもにもすっと入っていくんだなぁ。私たち親子は今後、幽霊っぽい、おばけっぽいものに遭遇することがあったら、たぶん足の有無をまず確認してしまう気がする。
ブレイディみかこさんの幽霊の話はそのあと、「トランスヒューマン」の話に続く。「トランスヒューマン」は「人間が脳をアップロードしてデータとして生きる」ようになる概念だそう。体がなくなることで
と綴られている。ブレイディさんは「幽霊たちの情念と体力を支持」しているので、「トランスヒューマン」の考え方には疑問とのこと。
暮らしの中のやわらかな話題から、時にドキッとする考え方にも派生しながら進む往復書簡。
谷川俊太郎さんは詩でお返事されることも。
「午後」と題された詩の最後の2行に、思考がゆさぶられている。
「書けない」のではなくて。「何も意味したくない」。
言葉と共に生きている谷川さん。
谷川さんに保留されたのは、どんな言葉たちだろう。
いつも何かを書こうと、表現しようと、届けようとしている私にとってこの2行は、チクリとしながら、そのあと深部にまで、つつーっと染み入るようだった。
「意味したくない」という意思。
「保留する」言葉。
決して文字数の多い本ではない。だけど、手紙のなかにそっとはさまれた、なつかしさや恐れや寂しさなんかがぽろっとこぼれてくるようだった。
表紙の絵の配置、表紙を開いたときの見返しの深い色、しおりの糸の色もすてきです。
秋の夜に、よかったら。