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遺書を毎月書いていた話
あまりこういうことを
世の中に発信するのはどうなのだろうと
私は少し躊躇っていましたが
ある出来事がきっかけで
ここぞ!と言わんばかりに
私の事、そしてそのきっかけになった事など
何回かに分けてお話しようと思っています。
あまり過激な言葉で表現をせずと思っていますが
私も今を必死に生きている人間です。
少しばかり感情的になるかもしれませんが
私らしくnoteをかけて、誰かに届けばと思ってます。
「遺書」を毎月書いていた
私は18歳の時に、うつ病と診断され
そこから、摂食障害、パニック障害、不眠症
そして常にある体調の悪さと今もなお
病気と共に生きてきました。
言わば私の一部になりました。
18歳から数年
私は文字通り屍のようになり
昼夜逆転、リンゴ一個すら食べられない
常に「私はこの世に存在していてはいけないんじゃ」
そういう感情のまま、横になり
目には光もなく、絶望そのものでした。
日に日に、自傷行為をして
母を困らせ、泣いては、皆が起きている間寝て
薬を飲む為だけに生きながら
「治すために薬を飲んでいる」から
「こんなの全く意味がないんじゃないか」
そう思うようになりました。
そして同時に
「こんな思い、私以外の人はしなくていい」
そうも思いました。
変に真面目でストイックで
怖いもの知らずだった私から
さっきまで出来ていたことが出来なくなる不安と恐怖に
怯えるようになっていたんです。
その時に「私はいつ、突然この世から消えるか分からない」ことへの恐怖も感じ始めていました。
しかし、別に「死にたい」と口にはしても
それは本意ではなく
「死んだら皆を困らせることが無くなる」からが
その時の「希死念慮」でした。
なので心では
「みんなには感謝を伝えてから居なくなりたい」
という気持ちが強くあったのと
「私がここまで生きたことを形に残したい」
と思っていました。
そこで思いついたのは
「遺書を書く」ことでした。
毎月毎月
みんなにそれぞれ感謝や思いを綴った遺書を書き
毎月「今月もまだ生きている」と思うのでした。
なんなら、遺影も決めていたんです。
若者が今で言う「終活」を始めるなんて
なんて律儀なんだろうと今となっては
自分に感心します。
そして毎年誕生日もしくは年始に
「今年の目標は、生き延びること」と言っていたのを
今でも覚えています。
もちろん今では違います。
凄まじく元気で活発だった私が
外に出なくなり
肌は真っ白になり、痩せ細り
死んだ魚のような目をして自分を色んな方法で
傷つけていました。
そんな過去があった私は
今でも服薬をしていますし
発作のようにいきなり不安になったり
恐怖にかられたり、過呼吸になったりします。
ちょっとしたことで
そして無意識の内にストレスが溜まり
ドッと泣いたりもします。
それがこの私が長年付き合ってきた
うつ病(今では、自律神経失調症ということになってます)の症状であり、一筋縄ではいかない
頑固な油汚れのようになっています。
今は宮城に嫁いできてから
誰もがびっくりするような回復を見せ
ズドンと落ちてもマッハで這い上がる事が
出来るようになってきました。
でも、まだ、そのズドンがある。
そんなの誰だって落ち込むわよ!と言われれば
それでおしまいなんですが
たぶん私を近くで見ている旦那さんや
母はわかるかと思います。
見事におかしくなります。
声が出なくなったこともありました。
言葉が出なくなったこともありました。
ふとした瞬間に「あ、今なら死ねる」と思ったり
「なんで!」「どうして!」と
めちゃくちゃにものをぶん投げて泣き散らかしたこともありました。
そんな気持ちともそろそろおさらば出来るなぁ
そんな矢先でした。
私が冒頭にお話した、出来事がきっかけで
久しぶりに精神面に深く傷を負いました。
この記事は序章にすぎません。
なぜここに書くか。理由は簡単です。
私はクリエイターという職業です。
そして、死んだら妖怪になって語り継がれたい
という夢も出来ました。
私なりの、私らしい、世の中への
宣戦布告です。
私が怖いですか?
私は私が怖いです。
でも、誰かに届いたら。
もしかしたら、この闘いを見て
勇気を持ってくれる人が一人でもいてくれるなら。
そんな思いで今、こうして過去をお話しました。
───────to be continued
まぴこ