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一生ボロアパートでよかった㉔
あらすじ
自慢だった新築の白い家が、ゴミ屋敷に変貌していく。父はアル中になり、母は蒸発し、私は孤独になった。
ーーー1人の女性が過去を振り返っていく。
↓坂ティー登場回↓
【本編】
坂ティーが3年2組の教室に入ってくると、他のクラスからは聞こえないような盛大な歓声が教室内に響きました。クラスメイト達はアタリを引いたと言わんばかりの明るい声で「キャー」だとか「よっしゃー」だとか叫んでいました。私は周囲の表情を見てはいませんでしたが、クラスメイト達の眉毛と口角が目一杯上がっているのは容易に想像がつきました。一方で、私はアオイちゃんを探すためにあげた顔をそのまま坂ティーに向けて固まりました。無表情だったと思います。周囲の嬉しそうな顔からは明らかに浮いていたことでしょう。もちろん私は歓声なんてあげませんでした。声にならない悲鳴なら僅かにあげていたかもしれません。
私は愕然としました。あまりにも神様が私に微笑まないからです。私がいったい何をしたっていうのか、いや、そもそも神様なんていないのかもしれない。もはやそのように思いはじめました。固まった顔のまま視線だけが坂ティーを追いました。坂ティーは私と目が合うと微笑みました。
「金井、来たか、先生嬉しいぞ」
坂ティーはそんなヘドが出るようななセリフを最初に吐きました。教室は歓喜の声で溢れていたので、他のクラスメイト達にそのセリフは聞こえていなかったかもしれません。でも、私にはしっかりと聞こえていました。父似の少しギョロリとしたこの目が、その口の動きをしっかりと見て捉えていました。
坂ティーが私に向けたあの微笑みの正体はなんだったのでしょうか。私は、坂ティーが春休みに父へ伝言した「新学期、学校で会えるのを楽しみにしてる」という言葉を思い出しました。坂ティーは私に会えて嬉しかったのでしょうか。私はその時全くそうは思えませんでした。坂ティーは自分に向けられた黄色い歓声に満足しているのだと思いました。
坂ティーは教壇の前に立つと机に両手を広げて置き、今度はクラスのみんなに向けて大きな声で言いました。
「みんなー!今年の担任は坂井です!よろしくなー!」
また黄色い声がいくつか上がりました。以前から一部の女子に人気がありましたが、こんなにだっただろうかと記憶を辿りました。2年生の担任発表の時はここまで熱狂していなかったと記憶していました。たぶん、坂ティーが魅力的になったわけではなく、単に中学三年生になった女子達が成長してオマセになっただけなのだと思います。思い返してみれば、恋話をしている女子を見かけるようになったのも、男性アイドルや男性キャラクターのグッズをこっそり見せ合っている女子を見かけるようになったのも、中学2年生の夏休み明けからでした。いくらオマセな女子がこの一年で増えたのだとしても、なんで坂ティーでワーキャー黄色い声をあげるのか全く理解できませんでした。なにせ私は、相変わらず好きな男子もいなかったし、好きなアイドルもアニメキャラもいなくて、全く成長していませんでしたから。だってそんな人生の余裕、私にはなかったですもん。
坂ティーは自己紹介をそこそこにして、春休み中の自分の思い出や失敗談なんかを話してクラスメイト達を笑わせていました。それから訪れたのが春休みの宿題を提出する時間でした。私の虚無タイムの始まりです。私はもちろん宿題なんてやっていませんでした。いや、もはや初耳でした。"宿題"というワードが出た瞬間、それはもう、めちゃくちゃ動揺しました。
まさかあの封筒の中に書いてあったのか。私はそう思い至ると、そこで初めて春休みに先生から送られてきた封筒を開けました。目立たないように注意しながらも、動揺して焦る手で時折ビリビリと音を立てながら封筒の口を切りました。中を覗くと、案の定通知表の上に白いA4プリントが入っていました。それには春休み中の過ごし方の注意点と宿題内容が記載されていました。
プリントにざっと最後まで目を通すと"宿題は無理のない範囲でやればいい"みたいなとってつけたような一文が書かれていました。いやいや。宿題の提出があるならそもそも今日登校しなかったのに。春休み中は宿題があるって、電話でまずそれを伝えろよ。私は怒りさえ湧きました。まぁ、全部悪いのは封筒を開けすらしなかった私なんですけど。
後列から順番に各教科の宿題が集められ始めると、もはや抗う術はありませんでした。私は現状に降伏せざるを得ず、顔を机に突っ伏して降参の姿勢になりました。そして制服の袖で視界を遮断しました。その後まもなく列最後尾の子が私の横に立ったのがわかりました。たぶん彼女の手の上には、後ろから順番に集められた宿題が積まれているのだろうと察することができました。でも私は降参しているので見逃してもらうしかなかったのです。それなのに、彼女はなかなか通り過ぎてくれませんでした。
「先生、」
たぶんその子が言ったのだと思います。少しだけ声に戸惑いが帯びていました。たったその一言で何かを察したであろう坂ティーが「金井のは後で先生がもらうからいいよ」と返事をしたのが聞こえました。先程まで春休み中の自分のアホ話を披露していた時とは打って変わって、声のボリュームを下げて坂ティーは言いました。私はそれにとてもムカついたのを覚えています。いや、この時にはすでに学校の全てにムカついていました。
生きにくい。私だけ、やけに生きにくい。そしてこの学校という場所は、私の生きにくさに拍車をかけている。そう、思いました。
つづく
↓①〜⑩話を簡潔にまとめました😊
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