星の王子さま サン=テグジュペリ作
1964年東京オリンピック開催に伴い、交通網やホテルなどのインフラ整備により、日本は好景気に見舞われたそうだ。2020年、オリンピックが日本で開催されると発表があった時、失われた20年に終止符が打たれ、景気が大幅に回復するだろうとメディアに出演していた経済ジャーナリストが語っていた。
バブル崩壊と同時に生まれた私にとって、1993年以前の日本はまさに神話の世界であった。発表があった当時10代の私にとって2020年は好景気で、誰もがフェラーリに乗って美女を買いまくれる時代が到来するだろうと過大に妄想し、大きな期待を胸に膨らましていた。
しかし、予想は大幅に下降修正されることとなる。アメリカとイランのよく分からない戦争危機、車に乗る楽しみを奪い去るAI、そしてグレタ・トゥーンベリ教のエコ信者による狂奔...他にもたくさんの影響があるのだろう、世の中は少しずつ悪い方向に向かっている。現状、日本国民の8割以上はもやしのみの食事を強いられている。
社会のあまりの恐ろしさに、ベッドの下に隠れながら震える手でスマートフォンを操作していた。ネットサーフィンをしていると、かつて子供だった大人に捧げたい本という記事を見つけた。
私は怯える身体を全力で動かし、クローゼットから防護服を取り出し、窓から狂人がいないかを確認してから街の本屋に向かった。
サン=テグジュペリ作 星の王子さま、1943年に出版された小説である。
操縦士であるぼくが、サハラ砂漠で飛行機の不良で不時着した時、一人の少年と出会う。その少年は、他の星からやってきた王子だと言う。王子がどのような星に住んでいて、どのような生活を送ったのか。なぜ王子は、その星から離れて地球に来たのか。地球に来る道中の6つの星は、どのような星だったのか。そして地球に来て、ぼくに出会うまでの話。
あらすじのみを読めば、ただの童話である。しかし、全ての登場人物が比喩的に表現することができ、この小説が老若男女すべての時代に生きる人々に通じる哲学があるのだろう。
まず私の斜に構えた持論を述べさせてもらおう。地球に来る道中の6つの星にそれぞれ職業人がいる。職業が比喩しているのであろう権力、人気、快楽、財力、労力、学問・・・王子には理解できなかったと記載されていた。これは、競争社会を批判しているのではないか?王子は、私の予想では年齢10歳未満の少年だ。子供は、競争社会で生きる大人達によって甘やかされて生かされている。枕を読んでもらったらわかる通り、競争に勝たなければ惨めな生活が待っていると私は思っている。これを読んで感心している読者とは、私は相容れないだろう。
しかし、私自身の今の現状を感謝にしなければならないと思った話がある。それは、王子とバラの花とキツネの関係性である。バラの花はワガママだ。堪忍袋の尾が切れた王子はバラの花を見捨て星を出た。だが、王子はそれでもバラの花を忘れることができなかった。それは、キツネが助言することで王子が気付く。キツネは、「かんじんなことは、目に見えないんだよ」と言った。
私はこの話に大きく共感した。知らない街に来たら、誰しもが孤独を感じ、誰しもが新たな出会いを求めるだろう。しかし、性格がひねくれていて、容姿が整っていない人ならどうだろうか。絶望しかないのではないか。私がそうだ。そのような人間でも、王子であり、バラであり、キツネのような関係を築くことができることをこの一年で知ることができた。本当に周りの人達に感謝したい。
長くなってしまったので、ジョンレノンの言葉で締めたいと思う。
「愛は花のようなもの。育てないといけないのさ。」
私もいずれか、星の王子さまに会ってみたいものだ。
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