よっしー

元エホバの証人二世。虐待サバイバーだったり現行で鬱病もちだったりしますが 今は心穏やか…

よっしー

元エホバの証人二世。虐待サバイバーだったり現行で鬱病もちだったりしますが 今は心穏やかに暮らしています。 長い間に自分を見つめ直したり、日々の嬉しかったことなどを綴っていくつもりです。元JWの方々にも読んでいただけますように

最近の記事

可哀想に思っていいんだよ。

「辛いことがあると偉いのか? 辛いことがあって辛抱してると偉いのか? 俺なら辛くないようにするけどな…」 「ああ・・人が泣くのには二つあるんだなって思った・・・自分が可哀想で泣くのと ただ もう悲しいのと・・・自分が可哀想で泣くのはさ ガキの涙だよ」 小野不由美「十二国記」より 今日この言葉を辛い病気に苦しんでいる子が、「好きな言葉なのだ」と言っていた。 いい言葉だな、って思う。 人間いつまでも「私がいちばん辛い」と泣いて生きていられるほど世の中は甘くない。 だけどちょっ

    • いきなりそれはやってきて

      春の小雨の朝だった。 夫はもう出かけていて私にはもう少し時間がある、もうすぐ桜が咲きそうなだけど肌寒い季節であった。 「しななくちゃ」無意識の眠りの中から放り出されて思ったのはそれだった。 橋の上から飛び降りなくちゃ。 すぐ行かなくちゃ。 携帯だけは持ってこう。 スウェットのまま、スニーカーを突っかけてマンションの階段を駆け下りて雨の中を走った 悲しくも苦しくもない。ただただ、「トイレ行かなくちゃ」くらいの気持ちで「すぐ飛び降りなくちゃ」という焦りが足と頭を動かしていた。

      • 「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を宗教二世が観て思うこと

        ずっとどんな風に書こうか考えて悩んでましたが、 インド・パキスタン分離独立後2015年の映画「バジュランギおじさんと小さな迷子」について書こうと思いまして。 パキスタンの美しい山奥で小さな村に住む発語が遅い6歳のシャヒーダーはある事故にあってから「このままではいけない」と「インドにある奇跡のお堂」にお母さんと行くことになります。そこに行けば言葉が話せるようになることを願って2人は国境を超えるインド行きの列車に乗ります、しかしちょっとした事でシャヒーダーはお母さんと離れ離れの

        • 2人で泣いた夜

          エホバの証人のニュースが連日流れていますね。元二世の方は心穏やかでいらっしゃるでしょうか? 私はそうとも言えません。なぜならこんな酷い組織にいたなんてという意見、過去のトラウマが掘り起こされる苦しみがあるから フォーカスされている「鞭と輸血」のほかにも沢山もんだいはあったのです 中でも辛かったのは会衆内でも教育格差があったこと、普通よりヒステリー気質の母の事でした。 輸血は身近なものではありませんでしたが拒否カードは毎年更新させられていましたし、鞭ももちろんありました。普通

        可哀想に思っていいんだよ。

          私は少し違うのかな

          クリスマスになると見ていた子供番組から「プレゼントも貰えずに泣いてるかわいそうな子のためにサンタのおじさんにお願いしよう」というような歌が流れていました。 それを聞いて幼い私は「自分はどうやら大勢の人と違うところに居るらしい」ということだけは理解したような気がします。 でも、だって不幸とは認めたくなかった。王国会館にいけば「クリスマスや誕生日よりなんでもない日に貰う誕生日の方が幸せだから」と冊子に書いてあったから。 だけど、皆が何を貰ったか話し合ってる時、何も言えなかった

          私は少し違うのかな

          君はよその子

          君はよその子 どこにいても 君はよその子 誰といても あんなに仲良く遊んだ後  帰る友達の 背中を見てる 谷山浩子さんの「よその子」という曲にこんな歌詞があります。 こんな寂しさや強烈な見放された孤独を誰しもが思春期には感じるものだ、とどこかで読んだこともあります。しかしあなたにとっては物心ついた時から成人後まで「誰といても」ひとりきりでした。 幼稚園で学校でまたはバイト先で「友達」を見つけてもお母さんと帰る背中を1人で見つめ、帰るのは今だって夢に魘されるほど酷い「家」でし

          君はよその子