君はよその子

君はよその子 どこにいても
君はよその子 誰といても
あんなに仲良く遊んだ後 
帰る友達の 背中を見てる

谷山浩子さんの「よその子」という曲にこんな歌詞があります。
こんな寂しさや強烈な見放された孤独を誰しもが思春期には感じるものだ、とどこかで読んだこともあります。しかしあなたにとっては物心ついた時から成人後まで「誰といても」ひとりきりでした。
幼稚園で学校でまたはバイト先で「友達」を見つけてもお母さんと帰る背中を1人で見つめ、帰るのは今だって夢に魘されるほど酷い「家」でした
そこではあなたはいつも「嘘つき」「告げ口魔女」「穢れてる」なんて言われてましたね
「ここは私の場所じゃない」そのとおりでした。
あなたはやがて知るようになります。あなたがついて行きたくてもついていけないその「神様の組織」「エホバの証人」がしょうもないほど汚れていることを
あなたのたった1人の親が「子供に厳しくすること」で1目置かれていることで自分を保っていることを

それでもあなたは何時間も親の後について行き雪でつま先が痛くなる日も暑さで首筋を灼かれる日も横目で同級生が遊んでいようと親に愛してもらおうと後を追って知らない人に雑誌を渡し続けましたね
小さい子供だから可哀想に思って受け取ってくれる時期がすぎても頑張って勉強し、たどたどしく教理を語ったりしました、

あなたの胸には神なんでいませんでしたね
あなたはそれでも親が好きだった。一般の子供がそうであるように振り向いて欲しかった。
それさえ「エホバの組織」に利用されてるとも思わないで

悲しい話ばかりですみません
よく聞く「輸血拒否」や「鞭の話」はまた今度にしましょう

これが「エホバのうちの子」の現実です。少なくとも私の時代はそうでした。

※自分可哀想路線ではなくて論理的に「エホバの証人」を見ていくつもりです
感傷的に入ったのは自分への整理のようなものです



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