bureauMUZINA(むじなじむしょ)

むじなはタヌキです。都内でむじな達が集まって哲学や文学を研究するbureauから、あれこれお送りするページです。どうぞよろしくお願いします。

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最近の記事

『判断力批判』の天才論

 世にはいろいろな「天才」が存在する。果たして、そんな天才たちとわれわれは関係があるのだろうか。普段の暮らしの中では、無関係に思える「天才」が、カントの『判断力批判』においては、かなりの分量を費やして叙述されている。  『判断力批判』は、カントが美的判断について考察した書として有名である。そこでは、美とは、目的なき合目的性として考えが進められる。その逆説表現が何であるかはひとまず措いて、なぜ、美と天才がかかわってくるのだろうか。  われわれは、天才などという遠くはなれた人物と

    • 帰りの西武線にて

       子どもたちを叱りすぎてしまったな、と吾を反省しつつ帰りの西武線に乗っていた。川に流されては大変であるけれども、川に流されないように引き止める適切な方法とは何だろうか。  車両の奥から、子どもの騒ぎ声が聞こえてきた。見ると、吊り革を摑みながら、母親が二・三歳くらいの幼児を抱えている。抱えた幼児が、座りたいと言うので、座らせると、今度は、やはり抱いてほしいのか、母親の体を攀じ登ってくる。それで、おっこちると、騒ぎだす。見ているとその繰り返しである。  母親は、静かにしなさいと

      • 歌集『白梅玄冬』より

        今年、米寿を迎えた影山美智子氏の歌集『白梅玄冬』から。 ① いつまでもひとは誰かを待つものか尽くし待ちゐる 夢のかなかな ② 玻璃みがき貴州の客人待つ庭に百日紅の百房あかし ③ 旅によむ連歌の発句は土ぼめを必ずせよと張りある師の声 ④ 戦争に征くのはぼくらと顔あげて署名求むるに声かけやまず ⑤ メーデーもはや死語のごと五月一日 最前列にて窮状におらぶ ⑥ おくれつつ蕾みたる百日紅 原爆忌言ふこゑごゑおとろふ ⑦ ふたり旅に夫のはにかむ写真一枚飾りてかへす早春の南仏 ⑧ 群青

        • 『判断力批判』、覚え書き

           『判断力批判』を読んだ。どうして、この手の本を読んでいるのだろうかと、我ながら不図、おかしく思う。  カントによると、われわれの美的(情感的)判断、つまりは、何かを〈あはれと思ふこと〉には、構想力(想像力)が働いているという。たとえば、夏雲が夕映えに照らされる風景を、あはれうるはしと感動したならば、そこでは、数値は問題ではない。あの夏雲を測定して、その高さが実在のどの山と比較できるとか、夏雲の動く速さを計測して颱風の進路を予測していみるとかという、数値とは無関係に、つまり

          今朝、子メジロのこと。

           ランドリーに洗濯物をつっこんで、待ち時間を外に出てみると、道の向こうにメジロらしき三羽が遊んでいる。一匹が小さい影なので、親子かもしれない。  近づくと、その一匹だけが、うまく飛べずに道に転がっている。まだ飛び方を覚えきれていない子どもらしい。  車道の中央でバタバタしている。田舎道とはいえ、朝の通勤の自動車がそれなりに通っていく。一台が、車輪の間に子メジロを通して過ぎていく。近づいて、子メジロを車道から避かそうとするも、子メジロがバタバタ抵抗して両手から落ちる。何とか

          今朝、子メジロのこと。

          リベラリズムのメタモルフォーゼ

           リベラリズムは現在大きな変質の時を迎えている。現代におけるリベラリズムの根本思想は、人権の普遍性であると考える。つまり、たとえ、自分のことでなくとも、人間であるなら浴するべき、自由や平等などの民主的な価値に浴していない人々がいるならば、できる限り彼らに手を貸そう、というのがリベラリズムの教義であり続けたと考えられる。その教義は、キリスト教思想の現代版であり、アメリカこそがその盟主であったわけだ。  ところで、リベラリズムの訳語は「自由主義」であり、わが国の代表的な辞書であ

          リベラリズムのメタモルフォーゼ

          映画感想『蛇の道』

           新宿で献血をして外に出ると、夏の光りが強く照っていたので、体を休めるためにピカデリーに入りました。ちょうど、黒沢清監督の最新作『蛇の道』が上映される時間になっていたので、すぐにチケットを購入してスクリーンの前に座り込みました。  『蛇の道』は、娘を失った男の復讐に協力する心療内科医、新島小夜子(柴咲コウ)を主人公とするサイコサスペンスだ。黒沢監督が嘗て撮った同名作品のセルフリメイクでもある。  さて、ここからは、映画の紹介ではなく、私の感想を述べてみようと思います。です

          『若い読者のための科学史』

           ランドリーを回している待ち時間に図書館に行って手にした本です。  14章は、デカルトとベーコンのことについて書いてあります。デカルトは1619年11月10日、ノイトブルクの炉部屋で二つのことを結論するに至ったのだと著者は書いています。一つは、確実な知識をえるためには、もう一度いちから自分でやりなおさないといけないこと。二つは、そのための方法は疑うことなのだということ。  この二つをもう一度考えてみると面白い。たとえば、〈さがす〉という方法も候補になりえたのではないでしょ

          『若い読者のための科学史』

          韓国ドラマを観ました。

           イ・ジョンソクさん主演のドラマ「ビッグマウス」を観ました。面白かったです。はじめはコメディーなのかなと思ってみ始めたのですが、刑務所を主要舞台とするピカレスクものへと急展開して、はらはらしながら観ました。まったくリアリティーのない話とも言われそうですが、それでも面白みがあるということは、そうだからこそ、描かれている階層分断社会が現代アジアのリアルな問題なのだとも感じました。

          韓国ドラマを観ました。

          地球儀について

           新所沢でThe Boy and the Heronの三回目の鑑賞。やはり、主題歌の「地球儀」に込められた米津玄師さんの丹誠が心に響いた。この曲の作詞が、たぶん難解である本作の芯を的確に象徴している。そこに打ち震える感動を覚える。  そこで帰途、電車に乗りながら、この曲はどんな経緯で制作されたものであろうかと、スマートフォーンで検索してみる。すると、「音楽ナタリー」でのインタビュー記事を見つけた。  完成まで四年かかったこと。米津さん自身が少年時代から宮崎映画に救われながら生

          映画感想「アンダーカレント」

           新所沢で『ミステリと言う勿れ』を観て、そのまま新宿に移動しました。インバウンドで外国からいらした方々が多く見受けられます。今日も、そば屋で困っていた方に「English, OK?」と声を掛けられ、「リトル」とかって答えて、ビールとえび天の購入方法をご指南さしあげておりました。観光立国日本になっております。  バルト9に入り、これからちょうど上映するものを観ようということで、上映表を見ていたら、「アンダーカレント」という映画がやっていたので、それに決めて観ました。  あとで、

          映画感想「アンダーカレント」

          映画感想 The Boy and the Heron 

           新宿東口で献血をした休憩を兼ねて、バルト9で、宮﨑駿監督の「君たちはどう生きるのか」を観てきた。公開当初に一回観ているので、これで二回観たことになる。  初回は頭では凄い映画だとわかるけど心がそれほど動かなかった。が、二回目はとても感動した。主人公の真人がこれから暮す疎開先の部屋にとおされて疲れて眠りくずれる辺りから涙が止まらなかった。そこで、少し感想を書き留めておこうと思う。  ストーリーは、太平洋戦争の最中の日本を舞台にして、母を火事で失った少年(真人)が父と共に疎開先

          映画感想 The Boy and the Heron 

          映画感想「658㎞、陽子の旅」

           旅は人生を写し、人生は旅に現われる。熊切和嘉監督の『658㎞、陽子の旅』を新宿の映画館で観た。主人公の工藤陽子を菊地凛子氏が演じる。 陽子は就職氷河期を経験した42歳。青森の実家から18歳のとき父の反対を押し切って上京して以来、20年以上、父には会っていない。それでも、出棺に立ち会うように促され、青森までの658㎞を旅するというロードムービーである。旅でのおおくの人々の出会いを通じて陽子は成長する。一人の人間が感情を揺さぶられることで、その声を取り戻すまでの物語だ。ストーリ

          映画感想「658㎞、陽子の旅」

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          『確実性について』を読んでいきます。

          ウィトゲンシュタインの『確実性について』を読んでいきます。

          『確実性について』を読んでいきます。

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          映画感想 是枝裕和「怪物」

           どうして、この世では視点(パースペクティヴ)が一つに固定されているのだろうか。生きがたい。もしも、生まれ変わって、相手の視点も同時に観られたなら、こんな誤解はないのだろうに。でも、そんな生物は怪物かもしれない。或いは、私たちがすでに怪物か。  是枝裕和監督の最新作「怪物」は、少年たちの成長を丹念に描いた、それでいて鑑賞者に謎を持ち帰らせる物語だ。舞台は現代、諏訪湖のほとりの小学校。主人公の湊は、いじめられっ子の同級生、依里に魅かれている。二人の間柄は、少年期特有の絆を超える

          映画感想 是枝裕和「怪物」

          クワス算という「演算」

           言語の規範について考えてみたい。    「クワスは、グルーと同じように、われわれの行為空間の内には存在しない概念であるが、しかし、われわれはクワスの定義を理解できる。それはすなわち、クワスがわれわれの論理空間の内にあるということである。」 (野矢茂樹『語りえぬものを語る』2011年版p.254)    ここに「クワス」と呼ばれているのは、先ごろ逝去されたアメリカの哲学者S.クリプキがウィトゲンシュタインの『哲学探究』に想を得て編み出した思考実験的な「演算」である。野矢氏はそ

          クワス算という「演算」