見出し画像

ノーミスに近づくためのヒント「校正・校閲11の現場 こんなふうに読んでいる」

転職して一年が過ぎた。カタログ制作の進行管理(アシスタント)と聞いて派遣されたが、業務の7~8割は校正ぽいことをしている。「ぽい」とつけたのは、自分がやっていることが校正と言えるのか自信がないからだ。

20年近く編集現場を渡り歩いてきて、どこも小さな会社ながらいろんな媒体をやらせてもらった。でも転職活動のたびに「歳のわりには(雑務ばかりで)経験値がない」と書類も面接もなかなか通らなかったことが、心に陰をこびりつかせている。

今の職場にきて10日目くらいに社内のデザイナーさんから「○○さんの赤入れ、わかりにくい」と言われた時は、専門学校で学んだことも、この20年やってきたことも全否定された気持ちになった。もしや今の直属の上司もこれまで一緒にやってきた人たちも、言わないだけでそう思って……たのか? と考えると、再び「経験値がない」の烙印を押されたようで、さすがに落ち込んだ。

今も出社する足は鉛のように重たい。鉛持ったことないけど。

そんなある日、ツイッター(頑なにXとは言わない)で見かけたこの本。著者がほぼ同年代ということもあり、どんな本か気になった。書店でちらっとめくった冒頭の

同業の人たちが、どんな気持ちで、どのように仕事をしているのか聞いてみたい。待っていても会えないなら、自分から会いにいくことにしました。

という一文に、なんだか勝手にシンパシーを感じて、何かヒントが得られるかもしれないとレジへ向かった。

結論、やっぱり自分の仕事は「ぽい」の域を出てないと思った。ただ、今の現場で求められていることには、最低限なんとか応えられているかもと少し希望が持てた。

登場される校正者・校閲者の皆さんの葛藤は、今風? に言うなら「わかりみ」が深かった。ベテランさんでも不安や失敗はあるし、向き合う原稿、媒体の大きい小さいは関係ないのだと。逆に不安がなくなったら油断になる。不安はあっても大丈夫だと言われた気がした。

会社が違えば仕事の進め方、やり方も違う。これが正しいやり方で、それは間違ってるなどと簡単に線引きできるものではない。勝手言うなら、あと一年早く読みたかった。今なら反省はしても必要以上に落ち込むことないと思える。

そしてこの一文が目に入った時、まだ胸は張れないけど、下を向くことはないと感じた。

「無傷の校正者はいない」

私が好きなフィギュアスケートでよく聞く言葉に「ノーミス」がある。文字通りミスなくプログラムを滑りきることを言う。選手は皆、ノーミスの演技を目指して日々の練習に向き合い、試合に挑む。練習ではノーミスできても、試合で完遂するのはとても難しい。高難度の技を入れれば入れるほど。だからこそ結果はどうであれ、その挑戦に観客は惜しみない拍手を送る。

スケートも校正も完璧にできることに越したことはないけど、どちらも本当の意味でのノーミスはないに等しい。校正でノーミスに近い仕事をしたとしても、本だろうがウェブだろうが、それを受け取る人にとっては当然のことなので、拍手も喝采もない(当たり前だけど)。

それでもミスを引きずって下を向き続けるか、同じ失敗はしないぞと視線を上げるか。もちろん後者でありたい。自分に向いてるかどうかはわからないし、もはや傷だらけで日々「これでよかったのか?」の連続だけど、第一線の先輩方が日々悩みながら仕事と向き合う姿を知ることができ、もう少し踏ん張ってみようと。言葉を繋ぐこの仕事をもうちょっと頑張ってみようと思えた。

「まだ可能性はあるよ」と、背中を押してくれる一冊になった。あきらめるには、まだ早い。

この記事が参加している募集