冬になると思い出す群馬でのたしなみ
2025年を迎えましたね。
いかがお過ごしでしょうか?
1月は私の誕生日月です。
そのため、幼少期の頃から冬には思い入れがあり、この頃の風の冷たさやにおい、雰囲気から、ふと思い出すいくつかの経験があります。
私の出身地は群馬県の北部です。
THE田舎の代表格のため、私の娘たちはおそらく経験しないんだろうなと思うことをシェアしてみます。
1.どんど焼き
どんど焼きは、小正月に、正月飾りやお守り、だるまなどを燃やす行事です。
田舎ゆえに?夏休みが短く冬休みが長かったので、3学期に入る直前に行われていたのをよく覚えています。
お正月休みが落ち着いた頃、集落ごとに、田んぼのど真ん中に竹や藁を使ったやぐらができます。(画像参照)
いつの間にかできていることも多くて、各集落に職人たちがいたことに驚きます。
我が家はサラリーマン家庭だったので、祖父母も両親も、そういう作業は一切縁がなく。近所の子に混じって手伝ったことはありましたが、どうやって作ったのか、あまり覚えていません。
私は幼稚園〜中学校まで路線バス通学だったので、バスから各集落の個性的なやぐらが見えて、とても面白かったです。
私たちの地域では、そこらへんで拾った木の枝に、赤と白の繭玉だんごをつけて、どんど焼きで炙り、無病息災を祈って食べていました。
(同級生は毎年スルメをつるしていました)
また、このタイミングで、厄年の人が厄払いの意味を込めて、お菓子やみかんを配っていました。
どんど焼きは東京でもいくつか残っているところがあるようで、今住んでいる隣の地域でも小学校の校庭でやっていて、子どもたちとお邪魔したこともあります。
ただ、やっぱり勝手が違うし、他地域だからどうしてもお客さんになってしまう。
私が育った村は高齢化や少子化で、私が高校生くらいの頃から自然となくなってしまったように思います。
広い空き地と、やぐらを作る担い手が必要なので、なかなか難しいとは思いつつ、日本の伝統として続いてほしい習わしです。
2.十日夜(とおかんや)
十日夜とは、旧暦の10月10日に稲刈りが終わったことを祝い、翌年の豊作を祈る行事だそうです。
おそらく1月よりも前に経験していたのですが、毎年寒すぎて冬の思い出としてラインナップしています。
子どもは藁鉄砲をつくり、それを各家庭の庭でバンバン叩き、もぐらよけとします。
前述の通り、私の家は農家でないので、藁もなければ藁を鉄砲に編むノウハウもないので、同級生のおじいちゃんに作ってもらっていました。
私たちの地域では、スポーツ少年団の卓球クラブのイベントのひとつとして開催されていて、クラブに入っている小学1年生から6年生までの家を歩いて回ります。
田舎なので1軒1軒が遠い!小学生には結構な距離で、3時間くらいかかっていたはず。
庭にお邪魔して「とおかんや、とおかんや、ゆうめしくってぶっとばせ(うろ覚え)」という掛け声のもと、藁鉄砲で地面を叩き終わったら、お家の人からお礼のお菓子をもらいます。
30個くらいもらえて、とても幸せだったな〜。
当時はハロウィンが根付いていなかったので、こっちのほうが日本らしいな…と、できれば取り戻したい習わしのひとつです。
3.上毛かるた大会
群馬県民におなじみの上毛かるた。小学校内で大会があるほか、有志は放課後や冬休みに練習して郡大会、県大会を目指します。
私はかるた大好きだったので、ストーブがんがんたいているなかで、何回も勝負していました。
個人戦と3人1組の団体戦があり、私は個人戦メイン。
とはいえ両方やっていたので、自分に1番近いところに「お・か・め・き・け」「す・も・の」の札を並べたなあ…(この戦術は上毛かるた経験者にしか伝わらない…)。
レベルは中で、郡大会入賞くらいだったかな?
同級生は団体で郡大会優勝して県大会に行っていましたが、県のレベルは超高くてびっくりしました。
「あ」とか「k←か行」とか読まれた瞬間にとられてる。
とるとき、拮抗していたら「入ったァ!」と審査員に必死にアピールする。
かるたといえ侮れず、集中力や瞬発力、記憶力が鍛えられ、時に手がぶつかって血まみれ、負けたら悔しくて本気泣きなど、本当によい思い出です。
久しぶりにガチ上毛かるたをしたいなーと思うのでした。
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子どもの頃は当たり前だったことも、大人になってみれば貴重な経験だったことを痛感します。
年末年始は「テレビガイド」を買って特番を楽しみにしていたり、家族全員で100枚を超える年賀状をしたためたり、30センチくらい積もった雪や溶けた氷で遊んだりしていましたが、今、地元に帰ったとしても、そういったことはもうない。
時代の移り変わりを感じます。
今を大切に生きているので、過去に戻りたいとは思いませんが、「懐かしい」という気持ちは心がホッコリする。
私の娘たちは、こういった経験ができているだろうか。
ただ、私が鮮明に覚えている出来事は小学生以降だから、もう少し先かな。
大人になって貴重だったと思える思い出がつくれるよう、親としても改めて意識していきたいと思っています。