日常の中の神仏
父方の田舎である、広島県の大崎上島町。
大崎上島は瀬戸内海の島で、映画『東京家族』の舞台にもなった。
監督の山田洋次さん曰く、「瀬戸内海は日本のふるさとの原風景みたいなもので、見飽きない美しさがある」。
特にこの島は、本土から橋がかかっていない離島ということもあり、古き良き日本の雰囲気がよく残っているような気がする。
そんな大崎上島を訪れて、改めて気づいたことがある。それは、田舎の人たちの会話の中には、「神様、仏様」が普通に登場する、ということである。
その時はおばあちゃんの家のほかに、親戚の家二軒にもお邪魔したのだが、そのどこででも「神様、仏様」が登場する。
渡したお土産は必ず、まず仏様(仏壇)のところへいく。
僕の親父が、おばあちゃんに「これ土産じゃけん食べんせえ」とカステラを渡すと、おばあちゃんは「ええ、まず仏さんにあげてからもらうけん」という具合である。
親戚の家でもやっぱり、「土産もろうたよって、仏さんに報告しといたけんの」。さらに別の親戚の家では、「いいお酒もらったら、神様仏様にあげての、ほんで残ったやつを料理に使うんよ」という話を聞いた。
こんな風に、日常の生活や会話の中に、神様、仏様がごく自然に登場するのである。
思えば、これまでだって田舎に帰ったときにはずっとこんな風だったはずである。ところが、今回このことを新鮮に感じたのは、やはり僕の東京生活がずいぶん長くなったからかもしれない。
東京生活におけるコミュニケーションの中で、やたらと「神仏」が登場していたら、ちょっと「怪しい人」に見られるだろう。ところが、田舎ではそれが普通なのである。
とはいえ、僕のまわりには比較的「怪しい人たち」が多いのではあるが(笑)。
普通に考えたら、自分がもらったものを、先にほかの人にあげるなんて、嫌だとか面倒だとか思ってもおかしくない。しかし、田舎の人が神様仏様へお供えをする姿は、むしろそのことをうれしく思っているようでもある。
ここでの神仏のように、「自分より尊重されるべき存在」が身近にいることは、本当はとても豊かなことなのではないか。
そんなことを思った、田舎での数日間であった。
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