観光によるまちづくりって何ですか?
皆さんこんにちは。よーそろの井上明です。
呉市内の高校生から県外の観光学を学ぶ大学に進学したく話を聞きたいと電話があり、一昨日若長を訪ねてきてくれました。
とても礼儀正しく明るくて素直そうな女子高生。
突撃するのにも勇気がいったことでしょう。
これから大学に行き学んでいく糧にしたいとのことで、ノートにまとめてきた質問事項をもとに話をすることに。
いくつか質問に答える中で、これからのまちに大切なもの、必要と思うことは何ですかいう話になりました。
ここにしかない価値と”商い”視点
大切なのは主体性とゴールイメージ
観光振興はあくまで手段であり、自らが責任を持ちそれによってどうなるかのゴールを描きそれに向かって動くこと。
御手洗のまちも様々な考えがあり、あくまで私と私の価値観や方向性が近い人達の考えるゴールについて考えを話しました。
続いてきた風情と独自の文化を引き継ぎながら発展する暮らして良かったと思えるまちに。
京都でもなく、宮島でもなく、尾道でもなく。
どこそこのように人が通れないほどの観光客がわんさか来て賑わってほしいなど、私は思っておらず、まちの風情と文化、景観やその思いを大切に受け取ってくれる人に来てもらえさえすればよいと思っています。
それはとても横柄な言い方かもしれませんが、私はそれ以上に御手洗が築いてきたもの、残してもらっているものに感動し、尊重しているがゆえに、それらの価値と思いをちゃんと受け取り共感してくれる人をどれだけ探せるかの挑戦とその表現磨きをしたいのです。
あるものの見せ方を少し変え、サービスを提供し”来てよかった”、”また来たい”をつくれるかどうか。
無料だから、人がいないからこれしかできないでは”また来たい”はつくれません。お互いの喜びを継続的につくるために、”商い”の視点”稼ぐ”視点が必要だと話しました。
更に商いの視点で言うならば、100人が100人全てが求めるお客さんではなく、誰に何を提供するのかの”誰に”を考えることがとても重要に思います。
というもの資源には限りがあり、全員が全員喜ぶものは提供できないからです。すべての人に合わせすぎるとありきたりなものになってしまいます。
なので、優先順位的にまずは持ちうるもので誰をどう喜ばせるか。それが出来たとき、良き循環の渦が今まで何とも思わなかった周りの人たちに少しずつ見えなかった価値を見せ、「よくわからないけど最近この場所がとても良く感じる」と思ってもらえるようになれば。
そのために愚直に探究心と表現力を磨いていきたいと思っています。
その高校生の彼女が行きたい場所はとても美しい町だそう。私もよく知っている場所。
呉市内の景観を残念がっていました。入船山記念館やアレイからすこじまのレンガ倉庫の雰囲気はとてもいいのにと。
私たちは彼女たちが帰ってきたくなるまちをつくっていけるのだろうか?
とにかく目立つ幟旗を立てればいい、とにかく目立つポスターを貼ればいい、とにかく人を呼ぶ宣伝をすればいい・・・それは本当に課題の本質を見ているのか、それは誰に対してのものなのか、その先に何があり、どのような未来があるのか。
予算がないからこれしかできない。多くの人にウケるならこれでいい・・・
それも当然考慮しなくてはいけない部分もありますが、数年後を見据え誰の心に刺さるものをつくっていくのだろうか?
連携できるものもあれば連携できないものもあります。料理と一緒。何と何を組み合わるか、それらを混ぜるタイミング(時期)によって不味くもなれば美味しくもなる。(2つではダメだがもう1つ加えれば3つともが活きることもある。)つぶし合うか、活かし合うかそれもどこにゴールを持っていきたいかによります。そのゴールがどんなものなのか、何が美味しくて、何が美しいのか、ひたすらに情報収集と感性を磨かなくてはいけません。その感性は生まれ持ったものではなく、知識や経験がそれらを育むものだと思います。
友達はほとんど県外の大学に行くらしい。
様々な町、世界を見に行って、やっぱり帰りたいと思うかどうか私たちの感性磨きと主体的行動にかかっているように思います。
私も私の持ち場でしっかりやろう。
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