子どもを「みとる」とは?大人の「見取り」が子どもを伸ばす!?
ようやく梅雨入りし、ジメジメとした天気が続いている今日この頃。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
雨の日が続くと、子ども達も外遊びができず、気分も滅入りがちですね。
「今日も雨か・・・つまんないな〜」とつぶやく子も多いのですが、「なんでつまらないの?」と聞くと「遊べないから」「部屋の中でも遊べるじゃん」というと、「そうなんだけど…走れない」「なんで走りたいの?」と聞くと、「うーん、わからないストレス発散したい」
「じゃあ、ここでジャンプでもしてストレス発散したら?」と伝えると「そういうのじゃないんだよ…なんでつまらないんだろう」ヨシタケシンスケさんの「つまらない つまらない」の絵本ではないですが、「つまらない」を分析して楽しむ!ぐらいの余裕が欲しいですね。
子どもを「みとる」・・・この言葉、知っていますか?
ところで、みなさん「みとる」という言葉を聞いたことがありますか?
「看取る」という漢字を思い浮かべた方が多いかもしれませんが、教育用語での「みとる」は「見取る」と書きます。
字の通り、「見て取る、、見て捉える、解釈をする」という意味です。
教師駆け出しの頃、先輩の先生方に
「子どもの見取る力が、教師力に通じる」
「子どもの見取りが、授業力をあげる」
そんなことをよく言われていました。
子どもの「見取り」ってどうやるの?
マナビノキで、日々子ども達と過ごしていると、様々な子どもの姿を見ることができます。
・1人で何かに夢中になっている姿
・周りの音が聞こえないぐらい何かに没頭している姿
・何人かで集まって「あーだこーだ」と騒いでいる姿
・みんなが瞬間的に1ヶ所に集まって何かをしている姿など
そんな時こそ「見取り」のチャンス。
何だかいつもと違う!そんな様子を感じた時には、まずは、黙って近づいてみる。これが「見取り」の鉄則です。透明人間のようにそーっと近づいて、まずはじっくりと見聞きします。子どもは、一体何に夢中になっているのか。何を話しているのか。何に注意や興味関心を向けているのか。じっくりと観察します。
そして、ちょっと自分なりの予想を立ててみます。
「この子は、この動きに何か法則性があると思って、ずっと見ているのかな」
「これから何かが起こりそうだから、その瞬間を見たくて、集まってきたのかな」
そんな予想が、解釈です。その解釈が合っているか、合っていないかはひとまず置いておいて、子どもの姿から、それを考える。それが「見取り」です。
子どもを「見取る」意識をもてば、子どもの「見方」が変わる
大人はどうしても先に自分の「教えたいこと」を優先しがちです。
自分の中でのルール、教える順番、考える順番、そんな自分スケールやフィルターで子どもを見ようとする。その結果、「まだこれもできていない」「これができないと、次もできない」そんな風に思ってしまいます。
けれど、そもそも大人は論理的で、子どもは論理的ではないんです。
実際の子どもって、幼ければ幼いほど、訳わからないんですよね(笑)
全く論理的じゃないし、変化球もいいところです。
子どもの見取りをしていると、「え!?こんな方法で考えたの?」「こんな見方で物事を見ているの!?」と驚かされることがたくさんあります。
そういった、大人の想像や常識を超えてくる!
そういったことに気づくことができます。
「見る」時間と「見る」経験を積み重ねていった先に・・・
「この子には、こういう入り方をしたのか、じゃあ、次はこっちに進むのかな」
「こういう風に物事を考えるのか…だとしたらこういう伝え方をすれば、わかりやすいかもしれない」それが解釈です。
つまり、大人スタートではなく、子どもスタートで学びをつくる、子どもなりの訳や経緯を見ようとする目をもつこと、これも「見取り」のポイントです。
また、もう1つ子ども「見取る」ポイントは、生活でも、学習でも、遊びでもいいから、その子がその子らしくいる時間、持ち味を出している時間、そういう時間を共に過ごすことです。そうすれば、見取りの「解釈」や「ピント」が段々と合ってくるかもしれません。
とはいえ、見取りはあくまで見取り。全てを、見取れるなんてことはまずない。
推測して、試してみる。その子に合っているかやってみる。
その繰り返しによって経験値を上げていくぐらいしかできないのかなと思います。
「はじめに子どもありき」 この信念を忘れずに・・・
「はじめに子どもありき」
本当に、これにつきます。子どもを見なければ、何もしようがない。
「大人」という定義もないように「子ども」という定義もない。
「1年生」という定義もなければ、「6年生」「中学生」という定義もないです。
一人一人全く違った存在だからこそ、その子を見るしかないし、その子を捉えるしかないんです。
「これがこの子らしさなのか」とか「この子とは、こうやって付き合っていけばいいのか」とか、そういった自覚的な子どもを見る経験的法則を1つでも2つでも増やしていく、それがその子を伸ばす1番の近道です。
梅雨は、植物にとって成長の時期。緑だったトマトも、段々と赤く色づきます。
「親は子を 育ててきたと言うけれど 勝手に赤い畑のトマト 俵万智」
私が、トマトを見るといつも思い出す短歌です。
子ども達がそれぞれ自分らしく育っていくことを手助けする。
子どもを見取る。ぜひ、家庭でも実践してみてください。