成長を願って痛いことを言ってくれる人の存在は大切に/「そこに愛はあるんか?」で見極める
私は人って皆誰しもが生まれてくる前に、
「今回の人生ではこれをやろう!」てことを決めて生まれてきてるんじゃないかな?という考えを持っています。
だから人との出会いも偶然じゃなくって、その今生での目的を果たす為に出会うんじゃないかな?って。
だから人との出会いはきっと全てが必然。
そして人にはみな誰しもに、
『あんのやろ〜!とんでもないヤツに出会っちまった〜〜!こんちくしょー!!』
みたいに考えてしまう人っていると思うんですね。頭にくることばかり言ってくるな、とか。
自分の痛いとこばかりを鋭くズバズバと言い当てられてしまうな、とか。
もしかしたら今まさに現在進行系で、そういう人の存在に頭を悩ませてるって人もいるかもしれない。
私のこの記事を読んでくださっている方の中には。
だけどそういう存在の人こそ、自分の生き方だったり考え方だったり、自分の在り方にブレイクスルー(これまでにない考え方で目の前にある障壁を突破すること)を起こすような人物であるって可能性もあるんです。
私自身が今までそういう人に出会ってそして叩き上げられてやってきました。
そのように人の成長を願って痛いことを言ってくれる人…………の一方では、そういうこと………人の成長うんぬんかんぬんは全く考えずに、自分の不機嫌をただただ周りに当たり散らしちゃうって人も中にはいますよね?
その、
①人の成長を願って痛いことを言ってくれる人
②人の成長うんぬんかんぬんは全く考えずに、自分の不機嫌をただただ周りに当たり散らす人
①と②の違いって一体何なのか………………
きっと、そこに、愛があるかどうか?相手のことを想っているかどうか?なんじゃないかな?って考えてます私は。
そこに愛はあるんか??
ですね。
私も中学生二人を現在進行系で育てているから日々思うけれど、そりゃあ子供ってかわいいし甘やかしたくもなります。
だけど、そうして子供に何でもやってあげたり親が手取り足取りやってたら子供自身が育っては行かない。
だから極力本人にやらせそして本人に考えさせ、そして本人に判断させる。私はそうするようにしてます。子育てでは。
親はあくまでもサポート、そして見守り役。
だってそうして行かないと社会に出たときに辛い思いをするのは子供本人じゃないですか!
だから今の世の中ってすぐにパワハラだ〜とか、なんとかハラだ〜とかってなっちゃう世の中だけど。
愛を持って叱ってくれる人、愛を持って厳しいことを言ってくれる人の存在って、きっと大切にした方が良いと私は思ってます。
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あ、それと先日の記事↓に、
精神的な病の持病そして依存気質があり、現在は老人ホームに入居中の私の母が体調不良なんですって話を書きました。
そしてその記事にコメントをいただいたりもしたのですが。(いつも見てくださってそしてご心配をいただきありがとうございます!)
お陰様で母の方は徐々に回復してきました。
母は彼女が今入居中の施設で安静にし、職員のかたも逐一母の様子を見て知らせてくださるので安心しています。
私の場合は、実家で暮らしている父の方にも不自由・障害があるので、やっぱり母の方だけでも施設でプロの方に見ていただけているということは、大きな安心感に繋がってます。
そうでないと私の母には依存気質があって、母は何でもかんでも一人娘の私に頼る、となってしまうので、正直100%その相手をしていたらこちらの身が持ちません。
どっちが親なんだか毎回わからなくなってます。
母と話してると。
ま〜、もう仕方ないです。こればっかりは。
親だから。彼女のことも愛を持って見て行くしかありません。両親に育てていただき今の私がいますので。
◇
ここまで読んでくださってありがとうございました。