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しょっぱくて、甘くて、この幸せに
ダイエットをしたいというのに、この衝動はどうしたらよいものか。
甘いものを食べると、しょっぱいものが欲しくなる。そして、しょっぱいものを食べると甘いものが欲しくなる。
こんなの美味しいに決まってるじゃない。
そう呟いて、太る太るとぼやきながらも
この幸せにどこか満足している自分がいる。
体が肥えるのは困るが
人生が肥える、
人生が美味しくなる、
それは大歓迎だ。
頭の奥の方が疼くような
しょっぱい思い出
引っ掻いて引っ掻いて
傷だらけになるような
しょっぱいでは片付けられないほど辛い思い出もあるかもしれない。
目の前が真っ暗になるような経験。
なんでこんなに辛い目に遭うんだろうと悲観し
ただただ平穏で、甘い日々だったらどれだけ良いだろうと願ってしまう。
だからこそ、その中で見えた光や温もりは、ほんの些細なことでも、真綿で包むように心を癒してくれる。
「もしずっと甘いものばかりの日々が続いていたら?」
きっと私は些細な幸せや、誰かの思いやり、努力、そういったものを、道に転がってる石ころのように扱ってしまうかもしれない。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」
とよく言うけれど、試練とは
私たちが大切なものを見失わないように準備されたものなのかもしれない。
苦しんだ先に光があるのではなくて
苦しんでいるからこそ、私たちは光を見つけようとする。
微かな一筋の光でも
その温かさを感じられるように。
だから私は大変なことがあると
次に食べる甘いものを想像する。
しょっぱいままでは終わらせない。
どんどん食べて私は肥えていく。
涙を流した後
そこに見える世界は少し透明感が増している。
雨が降った後に、塵が流れ落ちて
澄んだ空気が満ちるように。
しょっぱさを知らなければ
きっと目にも留めなかった世界がそこにある。
人の欲というのは天井知らずだ。
足りない足りないと蜜の味を求め続けないように
私は涙の味を噛みしめる。