長男を授かった時、私はアメリカに住んでいた。 というよりも、日本にいて、小学校教師をしていたときは とにかく忙しくて、授かれなかったから。 出国前に日本で検査をして、特に問題はないから、 アメリカで仕事をしないでのんびり過ごしていたら そのうち赤ちゃん来てくれると思うわよ。 って、検査をした産婦人科の先生言われた。 その通り、アメリカに渡って半年で赤ちゃんがやってきた。 3歳の頃から保母さんとお母さんになるのが夢だった私。 でも、なかなか授からない・・・ アメリカに
戦争が終わり、平和な日本になって 日の丸の重みを感じたことがある人はきっと少ないと思う。 私も小学校・中学校と毎日当番が国旗掲揚を朝から行い、 運動会など大切な日も「国旗掲揚」という声とともに 皆が立ち上がり体の向きを変え、そちらに向かっていた記憶はある。 ただ、そこまで大きな意味を感じてはいなかった。 私が日の丸と本気で向き合ったのは、2004年。 2回目にアジア大会に出場したときのこと。 1回目は、わけもわからず参加をしたのと、 アジア大会が日本である年だったの
アンテロープキャニオンを訪れた翌日 今度は一人で人工の湖、パウエル湖を訪れた。 この2日間は、観光の日なので、 自転車ウェアを脱ぎ捨てて、この度唯一のワンピースで観光✨ 自転車を道路脇に止め、結構歩いた気がする。 琵琶湖ほどの大きさがあるというパウエル湖で、 私が見れたのはほんの一角。 それでも、そこでまた素敵な出会いがあった。 湖のほとりで出会った1組の老人と女の子。 おそらくおじいちゃんと孫だと思うのだが、 なんせ、おじいさんは英語が話せない。 生粋のナバホ族。
人生一度っきりシリーズ✨✨ 幾つかあるけど、まずはコレ‼️ グランドキャニオンを 自転車で2週間旅して来ました✨ アメリカ大自然との対峙。 気温は毎日40℃前後。 37℃だと涼しく感じる中、 日陰はほぼない・・・。 何度か 死ぬかも⁉️ を体験し、 ネイティブインディアンのナバホ族の方とかに 助けていただいたり、 現地で仲良くなったアメリカ人夫婦に グランドキャニオン出発前にテントなどの道具を揃えたり 色々ジュビをするために 何日か家に泊めてもらったり、 自転車旅行中
これまた20代の独身の時のお話。 小学校の教員をしていて、長期休暇をいただけていたので 春・夏・冬と年に3回ほど海外に行くチャンスがあった。 子ども達と向き合う時にいろんな視点を持っていたかったので 自分磨きの旅でもあったけど、 私の中でのテーマは常に 現地の子ども達と出会う旅。 現地の子ども達と保育園や孤児院、少年院など 施設訪問して出会うこともあれば、 街角で声をかけて、しばらくおしゃべりすることで出会うこともあった。 フィリピンは、がっつり関わるホームステイとして
大学3年の時にイギリスに1ヶ月ホームステイ留学をした際に 同じ語学学校で仲良くなったリビア人の元を 翌年、卒業旅行の際に訪ねてみた。 無計画度の私は、結局5泊6日ほど このリビア人の友人宅にお世話になり、 熱心なイスラム教徒の生活の中に どっぷりと浸かってきた。 もう23年も前の話か。 宗教とか、文化とか、そんなものの違いをひしひしと肌で感じ、 そして、宗教などのすごさと同時に怖さも感じたりもした。 ちょうどカトリックの学校に就職する直前だったこともあり、 この宗教と
フィリピンにホームステイしてボランティアしていた時のこと、 ある保育園の卒園式に子ども達と一緒に参加させていただいた。 卒園式での子ども達が本当にすごくて それはその時も衝撃だったし、 今でもやっぱり日本の子ども達にも こんな経験をさせてあげたいと思ってる。 それがプレゼン。 皆、自分が将来なりたい職業の仮装をして行うプレゼンでは まずは、自己紹介、家族紹介から始まり、 そして、最後には When I grow up, I will be a ○◯! Because
BeautyJapan日本大会の最終インスペが終わった。 覚悟が決まっている人はインスペの姿勢を見ればわかる。 そうか。インスペってそんな位置付けだったんだ。 今更ながらにそんなことに気づく。 何もわかっちゃいなかった・・・ インスペって戦いの場でもあったんだね。 うん、色々後手後手。 10年ほど前からお仕事で関わらせていただいているもりちさんのお話も すっごく聞きたかったけど、子どもの運動会も捨てられなかった。 午後にあってほしかった・・・そう思いつつ、 それでも、
3rdインスペで、残り11日間 やっぱりしのごの言わず 後悔しないようにやってみようと思った帰り道。 いつも想いを伝えている市議会議員さんにも 連絡をとってみた。 来週、会えませんか? そしたら、来週は視察旅行に出掛けていて 東京にはいないと… うーん、来週を超えると大会当日になっちゃう… そう思っていたら、思いが通じたのか会えました❗️ BJ帰りの駅から家までの道のりで😳‼️ 本当にすごい偶然。 でも、BJにかける想いや その先の自分の活動にかける想い。 いつ
昨日、今日と日本大会に向けたBeauty Japanの 最終事前審査会:3rdインスペが開催されてます。 1stは術後の痛みと闘いながら 2ndは3歳の娘と共に参加したインスペ。 最終回の3rdでようやく、単身で 健康状態も良く参加✨✨ (小2次男は38℃の熱なんだけど🤒) インスペ、楽しい〜‼️‼️‼️ 皆と話せて嬉しい〜✨✨✨ をようやく心から体感できてます😊 大会後、AfterBJにも繋がりそうな話も色々出て来て ようやくようやく日本大会楽しくなってきた✨
あ〜、私、本当にNOTE書けてないな💦 それだけ毎日必死に生きてる。 3人子育てをしながら、PTAしながら、 市の委嘱のお仕事を請け負いながら、 個人事業主として働きながら、 地域活動をしながら・・・ 夜には力尽きて子ども寝ながら即寝の日がほぼ・・・ 子どもたちの歯磨きをして、余裕があれば、一緒に戯れて 絵本を読んで電気を消したら・・・ 私の方が1分経たずに落ちてる💤ことの方が多いと思う。 それでも、やはり学び続けること、 動き続けることに意義があると思って いろんなこ
今の生活の中で、Beauty Japanを意識しない日はない。 あ〜、あれもこれも動けてないな。 ガイドブック、チケット、お金足りなくて、全然買えなかったな。 ポスター、そもそも術後のお腹が痛くて 動こうと言う気にならなかったから、 1枚も買えてなかったな・・・ 手術してなかったら100枚くらいは余裕だったのにな・・・ 今更言っても遅いのだけど。 あ〜、娘がマイコプラズマで回復に2週間かかって その間、咳き込みで眠れず、私が隣から離れても不安で眠れず・・・ で、昼も夜も娘
ついこの前、友人とランチをしていたら 外を見ていた友人が一言 「あのおばあさん、大丈夫かな?」 振り返って友人の視線の先を見ると、 ふらふらになって、建物にぶつかり、 今度はガードレールにもたれかかり また動き出しては、建物にぶつかり・・・ とにかくもうあれはまともに立ってるとは言えず 歩道が狭かったから、両橋にぶつかりながら 辛うじて立ってはいたけど、 もう少し広かったら、きっと歩道に倒れ込んでたという感じ。 慌ててお店を飛び出て、道路を横切り(かなり交通量の多い道
あ〜、題名だけ書いて、書けてない記事がいっぱいある💦 これは、9/28(土)(セカンドインスペの翌日)に出身高校の同窓会で 秋葉原〜新小岩まで歩いた際にスカイツリー前で撮ったもの。 この日、たくさんの先輩や後輩達と10キロ以上 ウォーキングしながら、たくさんのことを話しました。 その中で、すごくすごく嬉しかったことが1つ。 以前、出場したことがある保育ドリームプランプレゼンテーション。 これを見に来てくれた先輩との話の中で、 そのプレゼン大会を見て、インスパイアされて
9/26,27はBeauty Japanの 2ndインスペクション(以下:インスペ) (全てが審査対象の合宿のようなもの。 もちろん学びが満載✨) に行ってきた。 千葉大会のあと、 まさかの手術で出遅れて、 手術から10日後の1stインスペの時に さぁ、ここから‼️ と思ったにも関わらず、 身体は予想以上に手術の回復に エネルギーを要していたようで 手術からの1ヶ月はとにかく眠たかった。 夕方には頭痛がして来て、 夜に仕事が入ってない日は 子ども達と寝落ちする日々。
3人子育て真っ最中の 私のモットーは --子育ては一人では、一家族ではできない-- たくさんの人に手を貸してもらって たくさんの目や手に囲まれて ようやく子育てってそれなりに形になるんじゃないかってこと。 私は長崎の田舎の出身で 大学から東京だったから もう実家を出て25年以上経ってるけど 今でも里帰りすると 近所の人たちが 「あらぁ、沙織ちゃんね。 帰って来とったと? おかえり」 と言ってくれる。 子どもの頃は、この皆が知り合いという環境が 窮屈にも感じてい