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私は、人に嫌われていないという自信がある。適応障害患者が自分を客観視してみた。

とんだ思い上がりだ、自惚れるのも甚だしい、と思ってもらって構わない。
それでも、私は人に嫌われていないという自信があるのだ。

勘違いを避けるためにあえて繰り返すが、私は「嫌われていない」、それは私が「どんな人からも好かれている」と意味しているわけではない。
あくまでも、私を嫌う要素が無い、無害な人間だということを主張したい。

学生時代を含め、過去を振り返ってみても、自分が人に嫌われたり傷つけられた経験がほとんどない。社会人になり、転職などで今まで4つの職場を経験してきたが、どの職場でも素晴らしい人間関係に恵まれてきた。

唯一、初めて働いた会社では1人いじわるな先輩がいた。だが、その人は私以外の後輩全員にいじわるだったため、私自身の問題ではない。
また、前職では性格がねじ曲がったパワハラ上司がいた。私はいじめられなかったが、同僚がいじめられた。私は同僚を擁護し、上司に非があることを口角泡を飛ばして論破した。一時の職場のムードは最悪だったが、私が退職する時に上司は私に深々と頭を下げ、ソープフラワーを贈ってくれた。

私の悩みの多くは、だいたい自分発信の内容である。
自分が情けないとか、申し訳ないとか、こんなことも出来なくて悔しいとか、自分事で悩むことがほとんどだ。
他人からどう思われているのだろう?と悩んだことはあまりない。家族や友人、職場の人たちからも信頼を得ていると実感している。

私がなぜ、ここまで”人に嫌われていない”という確固たる自信があるのか、以下にまとめてみた。


私は真面目だ。

仕事も趣味も、真っ直ぐ取り組む。絶対にサボらないし、手を抜かない。
やりたいと思ったら、まずやってみる。仮に長く続かなくても、スタートすることに意味があると思っている。
残りの人生、まだまだやりたいことがある。
今後も目標に向かって行動し、たくさんの夢を叶えるつもりだ。

私の見た目は普通だ。

この世界は皮肉なことに、美人すぎると妬まれるし、不細工すぎても煙たがられる。
また、服装や髪色が派手すぎたり、タトゥーがあったりするだけで、無条件に白い目で見られることもある。私自身はどんな見た目でも他人をジャッジしたりしないが、世の中は残念ながらそうではない。
私は黒髪で、普遍的なファッションを好む。清潔感には気を遣っている。特別美人ではない。いい意味で何の特徴もないから、嫌われる要素はとくにない。

私は陽気で社交的だ。

私は非常にひょうきん者である。口から生まれたのかと思うほどお喋り好きで、ネイティブ関西人なのでアンミカみたいだと言われたことがある。
挨拶と笑顔は絶対に欠かさない。
自分の機嫌や人の好き嫌いで態度を変えることしない。
見た目や性別、国籍問わず、どんな人にでも同じように接する。
好きな人には自分から連絡し、遊んだり食事に誘う。
嫌いな人とは一定の距離を置く。無理に人に合わせない。

私は優しい人間だ。

人を助けることが私の生き甲斐だ。困っている人には必ず自分のできる範囲で手を差し伸べる。
道に迷っている人がいたら、自分から話しかける。
落とし物は必ず警察に届ける。
不審な人がいたり、道路に危険なものが落ちているのを見たら、すぐに110番通報する。
地域の活動には積極的に参加し、ボランティア精神を常に持つ。
これまでたくさんの優しさを受けてきたから、可能な限り優しさを返していきたい。

私は嘘をつかない。

私の口から出る言葉は真実だけだ。
感謝の気持ちやは言葉に発する。
意見を求められた時は、本音でぶつかり合う。
嘘をつかれるのは気分が悪い。裏腹とかお世辞は苦手だし、自分も言わない。言葉の裏を察してもらったり、言葉以上の意味を深読みさせていては、信頼関係を構築する上で障壁になるだろう。
私は正直な人間だから、嘘をつくことはかえって私にとってストレスとなる。嘘をついた相手にはバレていないのに、嘘をついた罪悪感で自分が嫌になって泣いた経験がある。
だから嘘をつかない。本当に思っていないことは絶対に言わない。

私は悪いことをしない。

私はズルい人間が大嫌いだ。
私の職場で、営業の訪問数や架電数をごまかすことは簡単だ。実際そんな先輩もいる。やはり人のズルい部分を一度見てしまうと、私はその人のことを信用できなくなる。
経費をちょろまかすことも可能だろう。私が働いている会社は規模が小さく、ルールもゆるい。それゆえ、やろうと思えばいくらでも小銭を稼ぐことはできる。それでも私は4-5kmの範囲であれば自転車で営業先に行く。頼まれてもないのに自ら経費削減する会社員である。
極端だが、旦那に黙っていれば、不倫することだって可能だろう。だが、法に反してまでやりたいことは何一つ無い。
幸か不幸か、私は肝っ玉が小さい。自分の悪事を墓まで持って行く勇気が無い。また、それらがバレた時に失うものと比較すれば、割に合わない。
私が過去にやってしまった悪いことは、忘れたいのに全て覚えてしまっている。これ以上自分の悪い記憶を増やしたくない。

私はオープンである。

人と関わるからには、上辺だけでなくできるだけ親密な関係を構築したい。
初対面の人には自分から名乗る。自分のことをについて、聞かれる前に自分から話す。
学歴や職業、自分の良いところだけでなく弱さも、差し支えない範囲で自分のことを開示するようにしている。
自分が先に心を開けば、相手の心も自然に開かれる。

私は秘密を守る。

私はオープンであるが、誰もが私のようにオープンではないことも理解している。
私にだけ話してくれるということは、私に対して信頼をおいてくれているということだ。
信頼される人間であることは非常に光栄だし、今後もそうありつづけたい。
だから、人を裏切るようなことはしない。

私は素直だ。

ここまでたくさんのことを述べたが、私に欠点が無いことを主張したいわけではない。むしろ、欠点だらけだ。
欠点が多すぎて自分が嫌になる。
不注意もある。弱さもある。物忘れも多い。ミスもする。時には人を傷つける。
でも、指摘されたことは素直に受け止める。
自分が悪いと思ったら、認める。
誰かを傷つけて悲しませたら、必ず反省して自分の言葉で謝罪する。

結論:私に嫌われる要素があれば、改善するから教えて。

ここまで「人に嫌われていない理由」をつらつら述べてきたが、人が人を嫌いになるのは筋の通った理由ではないこともあるだろう。

「日本人なんか無理」
「あの子ってお金持ち。なんか腹立つ」
「あの子頭いい。なんかムカつく」

このように、とんでもなく理不尽な理由で私を嫌いになる人が現れるかもしれない。(ちなみに私は日本人だが、金持ちでも聡明でもない。上記は極端な例だ。)

もし、私のことを嫌う人がいたら、その人の考えがおかしいはずだ。

私は、欠点があればできる限り直していきたい。
私のことが嫌いならば、具体的に改善点を教えてほしい。仮に私が可愛くて憎いのであれば、「チュ!可愛くてごめん!」と謝罪する。

どんな指摘も、素直な心で受け止める準備は出来ている。





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