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アラサー女子が考える死後の話

決して重い話をしたいわけではない。

誰もが考えたことがある「死後」について、自分なりの答えがあるため、綴っておきたいと思ったまでである。

実家は代々仏教であり、葬式も一般的な仏教のスタイルで行う。祖父母の家には仏壇があり、お盆休みには墓参りに行く。手を合わせて、祖先に対して心の中で尊敬の意を表し、幸せに生きていることに感謝する。

しかし、このような気持ちが死んだ人に届くとは思っていない。
魂だとか、仏だとか神様だとか、目に見えないものは信じていない。
私は、目に見える現実と、自分自身だけを信じる。冷たい人間だと思ってもらっても構わない。

それなら死んだ後、人はどうなるか?私の答えは、「無」だ。

家の中に蚊が入り込んできたら手で潰し、ティッシュで包んでゴミ箱に捨てる。不衛生なゴキブリは殺虫剤で処理する。
儚いが、人間においても全く同じだと思う。人間だって虫けら同様、所詮生き物だ。遺体や遺骨、灰に魂は宿っていないと考えている。

生き物の魂が残り続けるという考えは、多くの人が信じているだろう。
しかし、私はそうは思わない。

生活圏内にやってくる害虫は駆除される。食肉や皮のために畜産動物が屠殺されている。人間の手で殺されなくとも、動物だって病気や事故で死ぬこともあるだろう。
人間はというと、日本人だけでも年間約160万人もの人が亡くなっている。
もし死んだ生き物の魂がこの世に存在しているとするなら、魂がスクランブル交差点の人混みとは比にならないレベルで空中を行き交い、しかもその数は永遠に増え続ける。
目に見えないところで、そんな滑稽な状況があり得るだろうか?

輪廻転生という教えもある。生き物が亡くなったとき、動物などを含めた生類に何度も生まれ変わるという、仏教の考えだ。
しかし、これにおいても私はそう思わない。

輪廻転生とは、言い換えれば、魂の総数が決まっており、何かが死ぬ度に何かが生まれるということだ。
世界の人口は著しく増加している。私が小学生の頃、世界の人口は64億人と習ったが、現在は81億人だと言われている。もし輪廻転生があり得るならば、人間に代わって生き物の総数が何億レベルで著しく減少していないことには、辻褄が合わない。実際、絶滅危惧と言われる動物もあるにはあるが、世界の人口と比較してもたかが知れている。

だから、私が出した答えは「無」だ。
魂なんてない。
生まれることや死ぬことに理屈なんてない。
そして、儚いが、死んだら何もかもなくなる。

生きている間は、行動したり、悩んだり、感情を持つことができる。
死後はこれらのことが全てできなくなる。遺体だけが残る。その遺体は、ティッシュに包まれ燃えるゴミとなった蚊と同様、火葬されて骨と灰になる。

私の思想で言えば、目に見えない魂など存在しないのだから、仏壇の前で手を合わせたり、墓前で何を唱えようと、残念ながら死んだ人には届かない。

だが、死んだ人を想うことが無駄だとは思っていない。むしろ、とても素晴らしく、あるべきことだと主張したい。
心を落ち着けて過去を振り返り、その人との思い出を蘇らせることは、今後自分が生きていく上で助けになるだろう。だから、墓参りや法事には大いに意義がある行事だと捉えている。

説明するまでもなく、死んだ人と共にした時間や感情は、生きている人の記憶の中に残り続けるし、死んだ人が創造した物やアイデアは学びとなって未来に活かされる。たとえば教科書に載っている人物のように、生存中に偉業を成し遂げた人においては、共通の時代を過ごしてなくとも、知識として人の記憶に残る。

生きる理由はそれに尽きるのではないだろうか。
努力すること、人に優しくすること、誰かのための存在になること…理屈なしに生まれ、儚く死ぬ。この一生には、自分の死後を生きる人々にとって大いに意義がある。

私には上記で述べた「死後は無」という名前のない自分なりの思想があるが、他の考え方をする人達を否定するつもりは全くない。

もし私が昭和初期に生まれていたら、より深く仏教を信仰し、毎日仏壇の前で故人を想うだろう。
もし私がイスラム国で育っていれば、このような柔軟な思想には至らず、自然と豚肉や酒を控える大人になっただろう。
人がどんな理由で何を信仰するかは、それぞれが置かれた時代と環境に付随するものだと思う。私はたまたま日本という国に生まれ、宗教観、価値観、人生観において多様性を認められた時代と環境で育った。だから、柔軟に考えることができ、このような思想に至ったのだと思う。

人生は簡単なことばかりではない。誰だって心の拠り所や、意思決定する際の判断材料になる思想は必要だろう。宗教を信仰し、教えに従うことで一つ一つの行動に筋を通すことができる。

私の場合、宗教においては非常にフラットな考えを持ち、自分自身の行動に筋を通すためのマイセオリーだけを信じて生きる。

マイセオリー

・死後の感情は「無」、残るのは遺体と他人の記憶だけ
・信頼できるのは目に見えるものだけ
・自分を守ることができるのは自分だけ
・口にする言葉は真実だけ
・他人は変えられないが自分は変えられる
・The light always returns.

これらの思想が正解かどうか、私が死ぬその時まで分からない。


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