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『心の病』は恥ずかしくない

鬱病や適応障害など、『心の病』について。
『自分の弱さ』を、認めるようで恥ずかしいと思っていました。

最近ひろゆきさんの切り抜きを見ていて、「申し訳ないけど、鬱病とかって考え方の問題なんじゃないか〜」というように話されているのをたまたま目にし。

鬱病を経験した私も「そのとおりだ」と感じました。

私の中で、『考え方』とは。
『持って生まれた考え方』や、『環境から与えられる考え方』『本や他人から学んだ考え方』などを合わせたものをイメージしています。

この『考え方』が鬱を生むなら、誰にでも起こりうる病とも言えます。

中でも一番影響を感じたのは、『思い込み』

『自分は誰にも愛されていない』という間違った思い込みが、自殺願望を引き起こす原因に…

では、この『思い込み』はどこからやってきたのだろう?

私が『愛されているか?』を初めて考えたのは、物心がついた頃で。
私は生まれた頃から『愛されたい』と思っていました。

人は大人になるにつれて、『愛されていること』を確信していき、自身に繋がっていくと聞きます。

私は『愛されていること』を何で判断したらいいのかわからず、テレビの世界から『愛に満ちた理想の家族像』を覚え、「こうでない限りは愛されていないし、愛ではない」と間違った思い込みをはじめてしまいました。

大人になって、『愛に満ちた理想の家族像』は叶わず、家族は離婚し、自分が思い描いた『愛』はどこにもありませんでした。

私が「私は愛されてない!」とヒステリーを起こしたとき。
母は「私はうまく子育てができなかった。でも愛してなかったら育ててない」と。
その言葉に、ハッとしました。

私の中の『愛』と、母の中での『愛』の形は全く別物だったこと。

『愛に満ちた理想の家族像』=『愛』という勝手な思い込みが、私を鬱病にしたんだと。
その時はじめて気づきました。

自分で勝手に作り出した『思い込み』が、自分の首を絞める。

学校では『良い子であれ』『問題を起こさないように』と教わります。
テレビでは『いいとこだけ』しか映りません。
ユーチューブも『きれいなところだけ』を切り取った世界。
会社も『従順な人間』を求め、新卒就活ではみんなが同じような服装に、同じような言葉を並べます。

『そうでなければ駄目なんだ』と、勝手に思い込んでしまうには十分なほど、メディアや社会に私達はどっぷりと浸かり『環境から与えられる考え方』を与えられすぎている。

その中で、間違った『思い込み』が生まれていく。

しかし、鬱病になることは“それ”に気づくこと。

自分の首を絞めている『考え方』が具体的に見えてくる、より生きやすくなるための試練の時間。

当時、そんな気持ちには到底なれなかったけれど。

今は、鬱病になって良かったと思っています。

『考え方』と向き合って、間違った『思い込み』を認めるタイミング。
なかなか簡単に人は変われませんが、気づかないまま人生を生きるより、気づいて生きていくほうがずっと肩が軽い。

もっと生きやすくなるため、心の休みが必要だったから病になった。

たった、それだけなんです。

恥ずかしいことなんてなにもなかった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
鬱病は身近なものだ、そう感じたときのことを記事にしています。↓


『転職しようと思って、会社を辞めたら鬱になった23歳』

孤独で苦しんでいた頃の自分と同じ状況の誰かへ、言葉を届けてみたい。

その想いから記事を書き始めました。

拙い文章ですが、スキやフォロー、コメントもお気軽に!

mamiko



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