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日記3月5日。 #日記

股関節の調子がイマイチである。前と比べてだいぶいいが、一度痛めるとなかなか時間がかかるものだ。多分稼働範囲が狭くなっているので、筋がかたまるのだろうか。階段を上る機会がないから、という思いが強いのだが、考えてみると階段を上る機会を増やすのは簡単ではないので、無い、と思わず、そのままで維持するか、あるいは機会を作るか、ということを考えたほうがいいかもしれない。

音楽について。

根っからのながら族、だと思っている。聞くのは前はラジオが多かった。流しっぱなしでいいから。楽だから、という理由である。洋楽が好きで、CMがあまり煩わしくない、という条件で、東京ではほぼJ-WAVEを聞いていた。

ここ名古屋では、気に入ったラジオ局が軒並み潰れている。それはそうかもしれない。洋楽で、できるだけCMが煩わしくなく、ということは要するに聞き流しているわけだ。CMを出す業者は、耳に止まり、購入してくれることを望んでいる。つまり方向性が真逆である。

印象でしかないのだが、今の若い世代は洋楽や洋画をあまり聞いたり見たりしない、ということだ。これはどういう理由だろうか。邦楽に多くのジャンルやバリエーションが増えたので、個人で好きなジャンルが探しやすいからかもしれない。

私が洋楽がすきなのは、歌詞が聞き取れないからだ。意味が分かるとながら作業が止まってしまう。高校時代はできればNHKFMでクラシックが流れていると最高だった。だがNHKFMの邦楽(古いほう)はダメである。現代音楽も、駄目だった。演歌も、懐メロも、だめ。

洋楽好きであれば、コンサートの告知、新譜の宣伝位であれば、いい。だがそれが稼げなくなって、洋楽中心のラジオ局がつぶれてしまい、残ったラジオでは生き残りのためのラジオショッピングばかりになった。番組を選んで聞けばいいのだが(山下達郎の番組が好き)、流しっぱなしなので耳に悪残りするショッピングばかり聞いている気がする。

仕方なく最近はインターネットラジオにしている。それも海外FM。なぜか。英語が聞き取れないからである。

勿論インターネットラジオでも、月額課金で”このCMが流れないようにできます”という宣伝を頻繁に流している。だが。英語で言われると、気にならないのだ。逆に英語で宣伝されれば””すこしはヒアリングの勉強でもするか”と前向きな気持ちになってしまう始末だ。

とりあえずはクラシック流しっぱなしの局を選んでいる。日系もあったが、やはり日本語が気になる。今はカナダの局ばかりになった。

課金しろ、という圧との闘いである。では聞かなければいい、とおっしゃる向きもあろう。だが、なにか鳴っていないと、寂しくてしかたがないのである。

(昔はエンドレスでCD流したりしてましたが、さすがに飽きますよね)


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豆象屋
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