4月19日 ヘラクレイトスの「すべては一である」ということについて。
本日の体重63.8kg、体脂肪8.7%であった。
昨日は浅草へ行った。雨であったが、特に欧米系の外国人観光客の皆さんの姿が目立った。やはり日本の物価の安さが際立っているのだろう。
ヘラクレイトスは「すべては一である」と説いたが、すべてが一、ということは普通ならすべては表面的には違っていても、どちらかというと本質的には共通の部分があるので、結局「一」に落ち着く、とつい考えてしまいそうであるが、どうやらそうではないらしい。
一見どうにも違うように思えるものが、実は底の底では通底している、ということがあって、確かに初めて「すべては一である」といえるのだろう。違っている、という感じのままで「すべてが一」といっても、これは魂が納得しないだろう。
結局すべては「一」である、という感じは私もする。その時の「一」は途轍もない幅をもった「一」、すべての矛盾を含み飲み込み、そもそも「矛盾」というような世界を超越しているはずだ。
そういう直観に、ヘラクレイトスの言葉はピンとくる感じがする。
では、どうなんだ。
一である、ということはどうなのだ。
そう感じるだろうか。
実は私はそうでもない。
そうか、一なのか。
そのなかでゆらぎ、楽しみ、もだえ、苦しむ「部分」
それこそが「私」、
という気分になるようだ。
(人それぞれ、としか、言えませんね。。)
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。