今思えば~認知症だから、よろしくお願いします。
急に寒くなった。
夏の様な暑さが、10月になっても続いていたから、
風の冷たさがニュースにもなったが
よく考えたら10月も半ばを過ぎたのだから
そりゃそうだ。
サクッと切ったレモンのような月も、しんと冷えた夜に一段と白く輝く。
日曜日。いいお天気だったので私おさんぽは、午後さんぽに出かけた。
いつもの河原は、薄い雲を透かした光と 秋風の中にあった。
散歩するのも、noteに記事を書くのも 実にひっさしぶりだ。
おそらくは、去年も咲いていたはずなのになあ、光景が思い出せない。
いつものコスモス畑の、揺れるコスモスたちが
ご無沙汰ねと
言っている・・みたいで。
1年前の秋は、どんな秋だったっけ・・とふと思った。
去年の秋は、・・事件から始まった。
大袈裟だが、その時点では、大ニュースだったのだ。
今、両親は、二人それぞれ、別の施設にいるが、
去年はまだ家にいて、ギリギリ頑張っていた・・。
母が入院したと連絡を受けて、急いで駆け付けたが病院に居ない。
探したら、飲まず食わずで6km以上を徘徊していた、その事実と、
それをあまり気に留めない父の、自分勝手な言動に、
呆れ、打ちのめされ 振り回された。
もちろん、両親は、自分たちでギリ踏ん張っているわけだから、
私達をブン回そうとは夢思わず。自分たちの世界に生きていただけだった。今思えば そう。
二人とも、立派な認知症だったが、時折かなりまともだったし、
コロナ期間を挟んだため、その間の経過も全く分からなかったので、
「これは認知症や」と思いながらも、
なんせ初めてなもんで、
言われることを真に受けて、悲嘆にくれたり、怒り狂ったり、
夢にまでうなされたり(実際に夜中に大声を出してしまった・・)
こっちもおかしくなりそうだった。
(正しくは、こっちもおかしくなってしまい、今もそうです😮)
認知症の人と、まともに渡り合おうとするから・・でしょ?
全く そうなんです!obviously right….
なんですが、
優しい息子特有の正常化バイアスなんでしょうか、
父がよだれを垂らしながら、うるさいと怒鳴っても
翌日には、メールで謝ったり、尋ねたり、ある程度理解できているような受け答えをするので、弟は、父の言うことを信じて、私(姉;認知症だと思っている)を、金目当ての、親を貶める悪いヤツだと疑っていました。もう関わらなくていい、と言われた。。。
実をいうと、私にはそれが 何より 一番つらかったのですが。。。
父は、昔から短気で怒りっぽい嫌な爺さんで、私をいつもバカにしていた。
おまけに、メイヨキョウジュで、偉そうだから、
話がどーも変だ、としても、誰も、面と向かって注意や意見をすることは ないの。スポイルです、まあ、めんどくさいもん。
父の方も、分かってます、とか大丈夫です、とか適当に答えて、
相手を黙らせてしまう。
めんどくさくても間違いを指摘する私は、父にはうざい存在なのだったが、
今年の夏、高齢者住宅の部屋で転倒し、救急搬送され、歩けなくなった。
排泄もできない、呂律も回らない。
でも文句ばかり、大声で怒鳴り苦情が出て転院。
地域包括病棟入院なので期限付き、その後入る施設の選定、契約、引っ越し。金取られ妄想真っただ中で、
行政や銀行の手続きの代行は何度も何度もやり直しが必要だった。
更に、母は母で要介護。自分では何もできないので、母にふさわしい施設を選んで入居までなんとかしなければならない。
そして、同時に
弟は、がんの治療で長期に入院することとなった。
父母の資産管理もできなくなって、父に於いては、不本意であるが
やむを得ず、しぶしぶ、「金目当ての」私に、父母の一切が任されることになった。ありがたいことに。。。
昨年から今年にかけて、数少ない私のnoteの投稿は、
ほぼ 罪悪感で満たされている。
家に居たいという父母。せめて一緒に居させてあげなさいよ、
それぐらいやってあげないと・・娘なんだから・・
自分で動けない、自分達では気付ない、どんなに不自由しているだろう、
一方、施設や主治医先生には、ご面倒とご迷惑ばかり・・
見えないモノに押しつぶされそうだった。
眠れなかった。
実際に父からは、「金がかかりすぎる」等、不満の電話や
「死にたい」「飛び降りる」などの
メールがひっきりなしで、施設も困って電話してくる。
「死んでくれたらいいのに」と思ってしまった。
そして、その気持ちに自分が刺されて、痛み、苦しみもがいた。
それは今も、
まだ多少あります。眠れない日も多いですが、
一年経って、
疲れたせいか、どうでもよくなった(こわっ🤗)
今思えば、
認知症だから、これら全部スルー。 適当な対応で ”いなす”べきところ。
悪気はないんだが、父の話はもっともらしく見当はずれで失礼なんだわ。
振り回されて、損したなあ。自分にごめんなさいです。
今のところ、
SDA服用開始で、希死観念が減り、文句と言えば、しょうもない物欲、
金をよこせ、に絞られているが、
自分をコントロールできない状態なので、要求は無視。
メールも電話もブロックして、心的距離を置いた。
お金で解決できることは、プロにお願いする。
それは、有難くどんどん利用する。受益者が負担できる範囲で、どんどん。
ウチの場合、だいたいにおいて、父がとらぶる。母は、かわいい。
この人と、60年も暮らしてきた母が、何もかも忘れていくのは
寧ろいい事、当然の事のようにも思える。
転院後、夫婦は状態が違う為、別施設へ入居となったが、
それでよかった。
ここまで来るのに、1年の月日が必要だったんですね。
再び、秋が来て、
コスモスが咲く河原を、散歩できたことに 感謝。
時間の流れと共に、私達も変化する。良くも悪くも
変化を受容しなければ、、、受容してこそ生きていける。
脳科学的には、私達はいつも未来を自動的に選択しているのだから。
そうは言っても、
また、苦しむかもしれない。何かが起こるかもしれない。
が、これ以上もこれ以下もなし。
心配してもしょうがないし。できないことはできない。
できれば、
分かってほしいな、と思う。でもそれは難しいだろう。
自分は、自分を分かっているか?
そこが肝なのですが、
自分以外の承認は得られなくてもいい。でも分かってほしいから、
苦しい。としても
出来ないことはできない、って自分が納得すれば、それでいい、らしい。
そうするわ🙄
なんとでも言ってくれ。ほな、シャッターガラガラ。
ぐるぐると、堂々巡りに考えているように感じていたが、
実際、脳は刺激に対してアルゴリズムを自動で回し、意識を生じさせているらしいので、私は、どうやら無駄なストレスを自分で生み出し、脳に仕事をさせていたようだ。
下手の考え休むに似たり。
あー、お疲れさん。
なんの参考にもならない、かもしれませんが
おさんぽの日記として、
また、父母との関わりを書いていきます。
お読みいただきありがとうございました。