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思い出せないけど 確かにあったもの2

後編

「竜の子幼稚園」

前編からの続きです。小川洋子さんの短編小説集「いつも彼らはどこかに」より 「竜の子幼稚園」で描かれる身代わり旅人が主人公の身代わり旅。 

依頼者の身代わりになるものをガラス瓶に詰めて 首からぶら下げ、依頼者が行きたいと願う場所へ、依頼者に成り代わって旅をする。写真を撮ったり、お土産を買ったりするだけではなく、以下引用「本当はそこに居るべきなのに居られない人の気配を、ごく自然に感じ取ることができるのだった」

身代わりではなく、旅を望んだ人と一緒に旅をしているかのように心を尽くして歩く。身代り旅人は 勿論架空の仕事だが、彼女のふわふわと漂う感じと 誰かの心を連れた旅、イメージが 不思議と自然に合致するのだ。

彼女は、5歳で死んでしまった弟と、共に在ることを強く願っていた。  生きているはずだった。姿は見えなくても 弟は 傍らに あるいはどこかにいてほしい。小さな弟は自分の誕生日である3月3日の刻印を集めていた。無邪気に その数字が自分を祝福してくれていると感じ、集めた数字を大切にしていた。主人公にとって3月3日は弟そのものとなった。3月3日の刻印から 彼女は自由になることができなかった。探し求めつつ、鎖につながれて声を失った 形のない心だけが、漂ってしまう。彼女を解き放ってあげたい、あなたの願いをガラスに詰めてあげたいと 何もできない場所で 私は思った。

秋のせんだん

小さな子が亡くなる 残された家族の悲しみは 計り知れない。時を経ても癒えない 忘れることなどできないだろう。

何年か前に 初めてこの短編を読んだ時には、設定が奇妙で、結末が不思議で、主人公はいったいどこへ行ったんだろう?と 結末の先は、靄だった。今読み返してみて、不思議な印象は持たない。
主人公が自身の想い出をガラスに託し、歩いていこうとしている姿を、作者は見送っているように思える。

お父さんとお母さんの木

旅の終盤、主人公は疲れて、飲み水もなくなって困っていた。
そこに、首に身代わりガラスを下げた青年が表れ、彼女を助け安心させてくれた。彼のガラスの中身は、タツノオトシゴ、数字の3の形をした、2体の竜の子だった。
彼は姉の心に生きる弟だった。弟もまた、そこで姉を待っていたのだ。

主人公は夢の中にいるのかもしれない。目が覚めたら3月3日のことを覚えていないのかもしれない。
そう願ったのは、彼女の心に生き続けている弟なのだから。僕がガラスを運んでいくよ。
引き受けるから、忘れていいんだよ。苦しみはあった。だが、もう思い出せない。

時間が流れ、忘れることは 優しい気持ちを感じることで 心が、少しずつ変わっていくことなのかもしれない。

ひげ

明日には、またひとつ何かを忘れているかもしれない。この世界に 時間があること、限りがあるということは、大いなるものの 優しさなのかも知れない。 

明日へ向かう全ての人に 幸あれ。読後 そんな気持ちになりました。

お読みいただき ありがとうございました。

おさんぽでした。


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