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もうすぐ終わるのかなって、不安になったから

OSがandroidの方ならお馴染みの
「今から一年前に撮った写真ですよ!」
っていう、フォトアプリからの通知を見てすごく怖くなった。

見せられた画像は、
現代美術家、ジャスパー・ジョーンズさんの『0~9』という作品。

それが、何かすごく最近のことに思えたから、怖くなったんだと思う。
そうこうしてたら、もうすぐ死にそうな気がして。

ジャスパー「ここ半年ぐらい、なんにもしてないけど、大丈夫?」




半年前からの生き方の傾向として、
”よりメタい視点で客観的に、盲目的にならないように過ごす”
っていうのが中心にあった。

発達心理学でいえば、
思春期・青年期→成人期への移行期によく対面する課題だと思う。

それで、青春特有の「努力!努力!成功!!」みたいな雰囲気から離れて
仏教や心理学、落ち着いた小説を見たり、たまにnoteを書いて、まったりと過ごしていた。

それは、すごくローリスクで、寝ぼけた獣みたいな自分に蓋をできて、心地よかった。


でも。
裸のままどっしりと人生に鎮座できるほど、強くない。
素敵な絵を描く人には嫉妬するし、映画を観ては自分に嫌気がする。

出来ることも魅力もなくて、でも歪だからあんまり受け入れられなくて、
それがすごく淋しくて、不安。

でも、何かをしようとすると、大切なものも犠牲にしてしまう。
例えば、落ち着いた心持ちとか。

この2つの間での葛藤。


言い方を変えれば、世界にかまってほしかったのかもしれない。
自分が無関心になると、相手も無関心になる。
人も、自然も、コンテンツも、すべてそう。
しっぺ返し。

私が、楽しく生きるのに無関心なそぶりを見せると、たちまち時めきは離れていって
その傾向は指数関数的に、雪だるま式に大きくなっていく。

理想とか、欲求とか含めて、自分が住まいたい世界を自分が勝手に創り上げていく。
葛藤している間にも、もう片方の世界観はずんずん遠のいていく。


それでも今の、ローリスクで葛藤してる世界に居続けるのが、ほんとにベストなんだろうか。




っていうのをネットの友達と話してるうちに、
じゃあやっぱり、何かやりたいねってなった。
”せっかくだから”に近いと思う。


それで決めた目標は、あと2年でその友達と一緒に
”絵でお金を貰うこと”。

正直、今の世界観とは全く違う、華々しくて現実から乖離しすぎた夢。

だけど、フォトアプリから通知が来るたびに、
過去を振り返るたびに、
「所詮人生、こんなもんなんだよね」
って思って、でもどこかで葛藤してるような将来は嫌だ。

どうせなら、
「ずいぶん昔の絵で幼いな笑。でも、成長できてるってことだわ」
とか、
「そういえばこんなことしてたな。早々に挫折したけど、あれで諦めがついたんだよね。」

みたいな感想を持てるようになりたい。
だから、しばらく頑張ってみる。





ただ、人生の目的である”素敵なおじさんになること”のために
noteや読書、その他いろいろも続けるつもり。

っていうのも、
暗い部屋で毎日何時間も描いていると、ほんとに頭がおかしくなるというか
心も手入れしないと、機械みたいになって、なんのために生きてるか分からなくなるから。



こんな変な社会と、素敵な景観を持つ世界に
無視されながらひっそりと死んでたまるかっての。




クロード・モネ - 『日傘をさす女性』の模写。
国立西洋美術館、ぜひ!
東広島美術館、描き途中。
街に寄り添う美術館です。

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