愛。そして生と死~ヨガ留学ファイナル~
なんだか非常に仰々しいタイトルになってしまい怪しさ満点でスタート。
今は帰りのスワンナプーム空港でこの日記を書いています。
今週は最終週!振り返りスタートですっ。
22日目(月曜日)
最終週に入り、一気にお勉強モードに突入。
午後のアーサナクラスがなくなりこの日は指導実習。
リシケシ・ヨガシャラ校の特徴は、実技後、生徒役が先生役の人のいいところ、しかもテクニカル面だけでなく、その人らしい内面的な部分をコメントするというルールがある。
振り返ってみれば、幼少期から私たちはいつも〈ダメ出し〉されてきた。それが当たり前だと思っていたので最初は褒められてばかりで不安を感じていたのだが、この日、「実は褒められる側より、褒める側にとてもいい効果があるのでは」と感じてきた。
なぜなら、相手のいいところを見つける目は間違いなくインストラクターに必要な技術だからだ。
インスタを無料広告として使うことが増えたい今、ついつい
『私を見て!かっこいいでしょ!どやさ!!』
というインストラクターが増えたような印象だ。
もちろん、そういった宣伝方法というのは必要だとわかっている。
でも、それで度が過ぎると、たとえ美人でカリスマ性があったとしても多分短命だ。
一方、生徒さんに愛情をもって一人ひとりと向き合うインストラクターはたとえ見た目が地味でも、カリスマ性がなくても、信頼関係を築き長い付き合いをすることができるだろう。
ついつい注目を集める方法ばかり考えていた自分に気が付き、新たな学びを得ることができた。
23日目(火曜日)
この日はパートナーで参加していたTさんとYちゃんが仕事の関係で一足早く帰国。
みんなより年上で、いつも優しくサポートしてくれていた2人がいなくなってとっても寂しい。
そしてこの日からなんだか全体的に雰囲気が変わってきた。
帰国した2人、もうすぐ帰国する私とBちゃん(200のコースだから)。
私たちと入れ替わりで参加するであろう新規メンバー。ゲストハウスからナラヤン先生のアシュラムへ移動などなど「変わること」がいっぺんにやってくる予感がみんなを少しだけ神経質にさせている。
それと同時に、変化を楽しもうとするポジティブな空気も感じて、いい緊張感だ。
実習に加わり、座学もヒートアップ。
ヨガ哲学の授業はめっちゃ面白いけどめっちゃ頭使う。知識を詰め込むだけでなく、テーマに沿ったサットサンガ(素直に何もかも話し合うこと)もするので、夜はなんだか頭がヒートアップして眠れない。
示し合わせたわけでもないのに、ゲストハウスの共有部にみんながお茶とお菓子をもって集まってくる。げらげら笑えるようなくだらない話をしてクールダウン。
眠る前のこんな時間が愛おしくて仕方がない。
シャワーが相変わらずぬるく、夜はめちゃくちゃ寒い。冷え切った足で就寝。
24日目(水曜日)
朝のアーサナプラクティス中、割といろんな考えがふっと湧いてくる。
この日は日本の陰陽とインドの陰陽についてふわぁっと浮かんできた。
それらをしっかり考えたい、と思いつつもブランチ後から思想哲学、解剖学、生理学、呼吸法と、座学が続く続く!
数えてみたら1日で6時間も座学をしていた。首と腰が痛い。
私は聞いたことがすぐに耳から零れ落ちるタイプなのでなんとかなっているようなものの、同じく200コースのBちゃんは聡明な分いっぺんに頭に入りすぎて大変そうだ。
さらには日曜日までの卒業レポートの課題も発表。(レポートの内容はこちらから)
土曜には卒業試験という名の90分ハタヨガクラス。日曜までにはレポート。明日も1日6時間の座学・・・。
気持ち的に余裕がなくなってきた。
そんな日に限って洗髪中にシャワーがお湯から水に変化。そして停電。
とほほ、な気分で就寝。
25日目(木曜日)
嫌な夢を見てあまり眠れず。
私だけでなく、アシュラム全体になんとなくお疲れモードが漂う中、我々の癒しはゲストハウスの前にいつも現れる牛の親子だ。
授乳中のママ牛は骨が見えるくらいガリガリで、自分の授乳中のことを思い出す。ついこの間までずっと肌身離れず一緒だったのに、今や1ヶ月も離れるなんて。
あの時想像できただろうか?
ママ牛や、たくさん餌もらえるといいね。
この日は解剖学メインで完全に頭がパンク。
帰国してからやろうと決意し、とうとう〈聞いてるふりして聞かない〉という選択をする。
根がまじめな分、若干心苦しいがしょうがない。人間にはキャパというものがあるのだ。
500コースの同期達も疲れのせいで頭が回らず、何度も同じ間違いをするが、先生は1ミリも怒らず対応してくださる。
超絶優しい。見習いたい。
話はガラッと変わるが、夜顔をオイル洗顔して寝て、起きてまたオイル洗顔してふき取ると、めっちゃコットンが茶色いのだが、これはどういう現象なんでしょうか。
すきま風がすごすぎてもはや外なのかもしれないと思いつつ、就寝。
26日目(金曜日)
日本にいる夫が発熱。
私の母も仕事、義理の両親も体調不良。
頼れるのは齡78の父(じーちゃん)のみ、、、。
『じーちゃんしか頼れる人がいない!』と電話で泣きつくと、普段孫と遊ばない父が張り切ってくれることに。
不安だったが、孫とじーちゃん2人っきりなんてもう最初で最後かもしれない。
むしろこれは神様からのギフトだ!
思い出作りだ!
と腹を決め金曜から日曜までじーちゃんにお願いすることに。
(土曜はばーちゃんがいるが。)
朝あちこちに電話してすったもんだしたせいか頭が痛い。
さらにはゲストハウスの裏で工事が始まりオンラインでの先生の声もほぼ聞こえない。
イライラがマックス。とうとう舌打ちまで復活してしまい、こりゃ限界だなと講義を途中退出。
とにかく寒い。葛根湯をもっとたくさん持ってこればよかった。(前半2週間でとっくに飲み切った。)
足湯をしようとしたが断水。
近所の観光客向けアーユルヴェーダセンターでスチームバスだけやりに行ったが、超絶ぬるい。もう嫌だ。
青黒い顔してゲストハウスに戻ると、ルームメイトがファーマシーで鎮静剤を買ってきてくれていた。
同期達が「このハーブティーいいよ」とか「毛布もらってきてあげるね」など次々と手を差し伸べてくれる。本当に仲間に助けられている。
みんなありがとう、という元気もなく就寝。
明日のテストどうしよう…。
27日目(土曜日)
とうとうテスト当日。朝7時からスタート。順番は私が1番最後。
トップバッターは200と300を連続で取る予定のkちゃん。
全くもってヨガ未経験ながら、世界中を旅していて、あらゆるものを身を持って体験している。
心と身体の繋がりがとても素直で、嫌なものは嫌、ときちんと意思表示できる素敵な女性だ。
今回もインストラクターになりたいわけでもないし、人前で話すのは大嫌いと初めから公言していた。
とっても魅力的なのに自分にあまり自信がないらしい。
そんなKちゃんのレッスン。
みんな親の心境で見守る中、本当に素晴らしいレッスンを届けてくれた!
Kちゃんの人生と、今回のインドで体感したであろういろんな思いが全部レッスンに詰まっていたのだ。
思わず感涙。終わったあとみんなで抱きつきに行ってしまった。
そして次はBちゃん。
彼女もヨガ未経験者だ。
アメリカ国籍、幼少期は日本で育ち、青年期にアメリカへ。彼女もあらゆる国を旅し、スピリチュアルに精通している聡明な、それでいて超ピュアな女性だ。
子育てがひと段落し、やっと自分の好きなことをするぞ、と今回参加している。彼女もインストラクターになる気はないらしい。
いつも『I LOVE YOU!』とみんなに愛を分けてくれるが、体が弱く、あちこち痛くなったり、日に日に痩せ細ってしまったりとこの日を迎えるまで1番苦労したのがBちゃんだったかもしれない。
そんな彼女のレッスンも素晴らしかった。
豊富な知識と、軽やかな誘導。ときには笑いもあり、本当に愛に溢れていた。
またしてもレッスン後みんなでハグの嵐。
私も、2人のおかげで元気が出てきた、と同時に、『未経験者が限界突破してる』ということにものすごいプレッシャーを感じてきた。
レッスン歴は長いのでうまくやろうと思えば適当にできる。でもここでそれをやったら意味がない。
学んだ成果をキチンと出したい。
気合いを入れるためにバッチリメイクしてテストに挑んだ。
人に見せるためのメイクではなく、自分のためのメイクだ。
ドキドキしながらみんなの前に立つ。
すると、みんな、とても愛に溢れた目で私を見てくれていたのだ。
それを受け止め、フッと肩の力が抜ける。
急に迷いが消えて『素直な』自分でレッスンをすることができた。
自己評価としては実は60点くらい。でも、得意の太陽礼拝ではなく、苦手な月礼拝とビジュアライゼーション瞑想を取り入れた。自分で言うのもなんだが、チャレンジ精神は100点をあげたい。
みんなからは
『普段は竹を割ったように男らしいレッスンなのに、今回は母性に溢れていた!』とのコメントをいただき、感謝感激。
全てのレッスン後先生から合格の連絡をいただきホッと一安心。
ご褒美にアーユルヴェーダのマッサージを受けに行き、レポートも書き上げ、夜はみんなでドーサの美味しいお店で夜ごはん。からの、夜カフェ。
インドに来て初めて飲みたい気分になった。(リシケシにはアルコールないけど。)
満ち足りた夜。
28日目(日曜日)
9時から卒業プージャ。
ナラヤン先生からマーラーの授与。(自分で作るより、グルジからもらうのがインドでは一般的)
卒業生だけでなく、全員分のお花のマーラーも用意してくださった。
ナラヤン先生の優しさをなんで表現したらいいのだろう。
最後みんなの前で一言、と振られ『ここで受けた愛を、家族や、私と関わる人に伝えていきたい。』
って言いたかったんだけど『ここで…』くらいで泣いて喋れなかった。
夜は毎週恒例のサットサンガ。
今回は自分の前の人が話した内容を受けて、それに関して自分で感じたことを話す、というテーマ。
Cちゃんな話を受けて。
数日前にモーニングプラクティスで感じた日本とインドの陰陽のことが思い浮かんだ。
日本の生死は割と輪郭が曖昧だ。
能などは必ず死者との会話だし、盆踊りも死者と生きている人間がグルグルと踊ることで曖昧になっていく。
一方インドははっきりと生きていて、だからこそくっきりと死が浮かび上がる。
圧倒的な生と圧倒的な死が常に両立しているイメージだ。
そして死は終わりではない。
次のステージとして生と同じ強さで用意されている。
あぁ、今と全く同じだ、と体感する。
インドでの愛に溢れたアシュラム生活が終わる。
終わるからこそみんな、愛を伝え合ったのだ。
次のステージでこの1ヶ月が糧になるように。
人生も同じで、必ず終わる。
だったら全ての瞬間を愛で溢れさせるべきだ。
次(死後)の糧になるからだ。
ああ、とため息が出るような気分だった。
そして私は日本人だ。
いるとかいないとか、そういうのが曖昧なのは国民性で得意だ。
だからきっと、次のステージに移ってもいつでも、ここに、帰って来れる。
物質を超えていつでも、だ。
そう思うと寂しいけど寂しくなかった。
そして、自分の人生と、それに関わる人と、全く関わらない人と、全てを愛する努力をしようと心に誓った。
雑記
夜はみんなでおめかしして最後の晩餐しようという流れに。
ジャージしか持ってないのでみんなが服やスカーフを貸してくれたのだが、インドというよりアフリカのお母さんになってしまった。
インドでお祝い恒例のお菓子、グラブジャムンをルームメイトが買ってくれたが、こいつが甘いのなんの!!
揚げドーナツのシロップ漬けのようなもので、ゴルフボールより小さいのに、一個で200キロカロリー超え。
恐ろしい子!!(ガラスの仮面風)
まとめ
ものすごく長くなった。
日本とインドの生死感、そして愛についてはまた今度まとめたい。
とりあえず、、、日本に帰ろう。