「英語」を学ぶ意味
最近また一から英文法や英文解釈といった
英語の本質を学び直しているんだけど、
多くの参考書はそういった文法の本質を説明するときに
「日本語と英語の違い」をいくつか例として挙げていて、
それがまた、おもしろい。
例えば「時制表現」
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I forgot my smartphone yesterday.
(昨日、スマホ忘れちゃったんだ)
I have forgot my smartphone.
(スマホ、忘れちゃった…)
日本語には正直そこまで差は感じない。
けど、英語の場合は「過去形は現在から切り離された事実」で
「現在完了は現在まで影響が続いている」という明確な違いがある。
つまり、過去形の方は「ただの事実」を述べているだけだけど、
現在完了の方は「今、スマホがない!」という気持ちが読み取れる。
だからその後に「ちょっとスマホ貸して」なんて言葉が続くかもしれない。
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・・・なんて感じで。
そんなことをちまちまと勉強しているんだけど、
ふと思ったことがあって、
「言語の違い」が「考え方の違い」を生んでいる
のかもしれないと。
もしそうだとしたらおもしろいなぁーなんて。
もし使っている言葉が人の考え方に影響を与えているとしたら、
逆に考えれば、英語をきちんと本質から学ぶことで
日本人に多い「空気を読みすぎる」とか「自分と他人の意見を混合して、人の目が異常に気になる」という悩みを
カウンセリングや自己啓発とはまた違った視点から変えていけるかもしれない。
なんて、ことをふと思ったわけです。
なんの根拠もないけど、
「受験に必要だから」とか「就職に役立つから」とか
そういう理由でなく「考え方を知るため」みたいな理由で
英語を学ぶこと、教えることができたらおもしろいなーと。
ちょっぴりテンションが上がったお話。
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