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日本史授業脚本「27 板垣退助の動き」

日本の歴史を学んだ人なら、上の写真を見てあの人が浮かぶんじゃないですか?「板垣退助の髭」と「村山富市元首相の眉」はインパクトありますよね。

今回のテーマは「板垣退助」です。板垣退助自身は1900年に政界を引退するまで波乱万丈の政治家生活を送りましたが、ここでは「明治六年の政変」から「大阪会議」までを中心に授業を展開したいと思います。

今の日本を見ていると、選挙権があるのに投票に行く人が少なかったり、選挙権があるのにデモ活動で要求を通そうとする人たちがいたりします。板垣退助がそれを知ったらきっとがっかりすると思うんですよね。

確かに板垣退助の行動は反政府的だし、過激になった面もあります。でも、それは「民選議会を作るため」であり、「選挙権」という武器を一般国民に与えようとするものでした。

また、国家の為に良い政策を提案しても、出身藩によって差があることへの憤りが彼にはありました。つまり、政策論争を公の場でやるための戦いだったわけです。

今の議員の体たらくを見たら、ブチ切れるでしょうね。

明治維新期の政治家は、大久保利通、木戸孝允、西郷隆盛、伊藤博文などだれをとっても自分の信念で突き進む人たちで、かなり頑固です。でも立場や意見が違っても国の発展を願う意味では一致している感じがします。少なくとも自分の地位を守るためだけに動いてはいない。

その中でも板垣退助は一番アグレッシブに動き回る政治家です。政党などの組織を作っては、また次の場所へと移っていく。それによって振り回される人たちも多いし、激化事件を起こす人たちも出てきますが、そういう人々の不満を板垣退助が吸収してくれていたのではないでしょうか。

政府としても、板垣退助は厄介な存在だったと思います。でも、「公議世論の尊重」を基本とした政府にとって、板垣退助の意見というのは良いアンチテーゼだったのではないでしょうか。

だから、板垣退助の無理筋な要求についても、よく考えながら政治を進めたことは、一段良い社会づくりにつながったと思います。まさに「弁証法」です。

このように板垣退助が果たした役割を考えながら自由民権運動について学ぶのが大切。政府と民権派をつなぐ板垣退助について、心が動く授業を作ってみましょう。

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