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色々ショボいけど狛江の花火大会に勝てる花火はどこにも無い話

狛江の花火大会は夏の風物詩

7月も終盤になりいよいよ夏も本番である。

春の訪れは「ヤマザキ春のパン祭り」、
夏の到来は「キンチョーの夏」、
秋はそれほど無くて
冬はシチューのコマーシャル。

日本の四季の始まりはCMで認識すると言っても過言ではない。

そんなわけで「キンチョーの夏」を目にすることが多くなったら夏ではあるのだが、私の地元である登戸、新宿に急行17分で行けるのに妙に人も町も田舎なところのあるホームタウンには風物詩と言える大きなイベントは一つしか無い。

余談だが登戸が田舎町であることは先日掲載した元木大介野球教室噺に明るいのでそちらをご覧いただきたい。

ただ、その一つの風物詩すら今は無い。
その風物詩とは、花火大会である。

インターネットもSNSも存在しなかった時代にポスターも無いのにどういうわけかこの狛江の花火大会の日程をある程度知っていた。

そして、朝になると空砲が鳴り響く。
あ、今日は花火だったね。
と。

そして夕方になるとまた空砲が鳴り響く。多摩川の河川敷は人で一杯になり、屋台が立ち並ぶ。

クラスで見た顔も沢山居るし、野球チームの友人も居る。誰が声を掛けたわけでもないのに登戸周辺から人がこれでもかというくらい集まってくる。それがわが町の花火大会なのである。

ただ、こんなに人が来るのに妙な特徴も多い。

仕掛け花火が毎年同じ

狛江の花火大会は仕掛け花火が毎年同じで、絶対にこの2つが終盤に登場する。

富士山とナイアガラである。

「富士山」とは、かなり縦長の台形を型どった仕掛け花火で、形状から察するに恐らく富士山を模しているものと思われるのでこのように呼んでいた。

とはいえ縦長の台形でしかないので、これが何かは見る側の想像力に委ねられているのだが、敢えてツッコミもせずに富士山ということで消化していたように思う。

ちなみに花火の当日に河川敷にクレーン車が登場するとああ今年も富士山やるのねと察したものである。まぁそれを見ても見なくても富士山はやるのだが。

「ナイアガラ」とは小田急線の線路が多摩川にあるのだが、この橋の側面の縦に沢山の花火を仕掛けて火を付け、滝が流れているように見えるものである。

単に滝とか呼べばいいのにそんなに大したことのない規模の仕掛け花火のことを「ナイアガラ」と呼んでいたかは全く分からないが、何故か私達はそう親しんでいた。

ちなみにナイアガラが出ると花火は終わりを迎える。あー今年も終わったねと言いながら帰路につく。

やけに単発の花火が多い

狛江の花火大会は単発の花火が本当に多い。

デカい玉。
デカい玉。
デカい玉。
たまにスダレのやつ。

こんな感じで進んでいく。
言葉を選ばずに言うと単調なのである。

花火が始まった高揚感で最初はずっと見ているがさすがにこの構成では飽きてくるので、徐々に河川敷で友達探しや屋台に足を運ぶことになる。

友人と語らい、焼きそばを食らう傍らで単発の花火が打ち上がっては消える。

そしてたまにシュシュシューと地上から比較的低いところで複数の花火が舞い、また単発に戻る。

ちなみに両親の実家の花火も見たことがあるが、単発であることに変わりないものの必ず提供元を発表する。まるで相撲の懸賞のようなシステムを取っていたので、それに比べればエンタメしていると言えるだろう。

夏休みなのに先生が居る

大体この花火大会は8月の上旬に行われていたので、夏休みも中盤戦に差し掛かったところだったように思う。

先生たちとしても休み中に全部休日というわけではないのだが、監視に駆り出される。

私が覚えている限りではほぼ全ての先生が居た気がするが、実際監視要員としてどれだけの数が動員されていたのかは不明だ。

そもそもあれは学校側が指示をしていたのか、それそも自発的に行っていたのか、それさえもよくわからない。

ただ、不思議なことにあの場で激しく先生に怒られたという話を私は聞いたことがない。監視の効果があったからなのか、夏休みだから多少は多目に見てくれたからなのか。それは誰も知らない。

しかしあの時期に、しかも夜にわざわざ花火大会の監視をするなんて今思うとかなり熱心に見てくれていたものだ。

今ならブラック学校だの教師の権利だの、色々と突っ込みを入れる人も居ると思うが、アレがあったから治安が維持出来ていた面もあるだろう。実にありがたい話だと思う。

どの花火を見ても狛江の花火には勝てない

登戸を離れてコロナ以前は様々な花火を見てきた。

カラフルで、玉数も多くて、凝った仕掛け花火があり、何よりも構成が飽きない。

花火としては勿論楽しい。
素晴らしいと思う。

ただ、子供の頃に見た狛江の花火大会のワクワク感、高揚感とは別物なのだ。

私はどこかで少年時代に観たあの感覚を追いかけているのだと思う。しかし花火という形は同じでも、あのときの花火と同じ気持ちにはなれない。

群衆の中に友人は居ない。
屋台で食べる焼きそばも別物だ。
先生の目を気にすることもない。

そして、単発の花火や毎年変わらない仕掛け花火に文句を付けることもない。

そういうセピア色になった思い出には全てが勝てない。色褪せない思い出があるから私はまた花火を観に行くのだが、結局それは思い出を追い掛けているだけなのである。

2000年以降、どのあたりの時期だったかは忘れたが狛江の花火大会は行われなくなってしまった。一度か二度か復活したことはあったが、確か富士山はもうやらなかった記憶がある。

もうあのショボい花火大会に出会うことはない。私の思い出の中で狛江の花火大会を懐かしむしかないのは寂しいが、今見てもあの頃には戻れない。

これからはキレイで楽しい花火を楽しもう。
思い出は思い出として大事にすれば良いのだ。

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西尾克洋/相撲ライターの相撲関係ないnote
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