「西尾克洋」という名前だと〇〇で一発で出て便利という話
「克洋」という名前はまぁまぁ面倒
私の名前は西尾克洋(にしお かつひろ)と言います。
西尾は変えようが無いのでこれはいいとして、この下の名前(克洋)ですよ。まぁまぁ面倒なんですよね。
ポイントは「まぁまぁ」面倒だということです。
まず、読めない人が一定の割合で居ること。これはなんか、自分が申し訳ないことをしている気分になります。「克」は一般的に「かつ」と読むし「洋」も「ひろ」と読むので、別に当て字でもないし読める人の方が多い。
でもねぇ…名前が読めないってちょい思うところあるんですよね。慣れたからまぁいいやと思おうとするんですけど、どうしても一拍生じてしまう。で、気持ちを立て直す。こんなもんかもしれないですけどね。
あと、電話でこの字が伝わりにくい点ですよ。
「ひろ」に関しては伝わりやすいです。「『太平洋』の『よう』の字です」って説明すればよほどのアホでなければ通じますから。逆にこれで通じなかったらなんて言おう。
問題は「克」です。この字が説明しづらいんですよ。皆さんなら何て説明しますか?41年生きてきて一応の解決策として「『克服』の『こく』です」とは言うんですけど、これで通じないときは地獄です。「十」に「口」に「あし」という非常に苦しい説明をせざるを得ません。
考えてみると「克洋」という名前の有名人が大友克洋しか居ないんですよね。あとは阪神が一番弱いときになぜか四番打ってた平塚克洋。この二人の名前をイメージできる人って限られてるんですよね。
相手が阪神ファンだったら平塚の話でそこそこ盛り上がれる可能性があるし、AKIRAとか好きそうな、ちょいサブカル嗜んだタイプになら大友克洋の話でもすればいいかもしれない。まぁ私は大友克洋作品何も通ってないのですが。
あと、外国人がこの名前読みにくいらしいんです。
「hiro」は「hero」と同じ読みなので全く問題ないのですが、問題は「Katsu」ですよ。
どうしても「カチュ」と読まれてしまう。「Ka」は読めるけどそのあとに「Tsu」っていうのが最悪な組み合わせみたいでして。
だからこの名前を正しく読んでもらうためにはスペルとして「Kats」って表記にした方が良いことに後々気づきました。なお、この読みにくい名前のせいで私は今の外資系IT企業の部署内で皆ファーストネームで呼ばれているところを私だけ「Nishio」と呼ばれる羽目になっています。嫌じゃないけど、まぁまぁ面倒ってレベルです。はい。
第一案が却下されて「克洋」になった
じゃ、なんでこのまぁまぁ面倒な名前になったか?って話です。
これには実はうちの両親の実家同士のパワーゲームがあったようで、兄が生まれた時は父側の実家(というか私から見た婆ちゃん)が名前を付け、次男である私が生まれた時は母側の実家で名前を付けることになったそうなのです。
今の世の中だと両親ではなく祖父母が名前を付けるというのはヘタすりゃ離婚案件にもなりそうですが、まぁまだ家同士が結婚するみたいな意識がまだかなり強かった時代なのでこの辺のことは仕方がないのかもしれないです。
とはいえ両親のセンスになっちゃうと欧米風の音に漢字を当てるみたいな方向にも進みかねないし、保守的なセンスによる命名の方が色々と角が立たなくて個人的には良かったのかなとも思うんですよね。
で、実は私の名前って「克洋」じゃなかったらしいんです。元々の案は「光洋」だったそうなんです。これが却下になったのは大きな理由があります。
私の父が舞台照明、照明プランナーという仕事をしておりまして、どうやらこの仕事をしている人はやけに自分の子供に「光」という字を付けたがるのだとか。
自分の仕事を子供の名前に付けることに抵抗があった父は義理の父の提案であってもそこは譲れなかった。なら自分で付ければいいのにとも思うんですけど、そうはいかなかったみたいでして。
そこで父側の実家に話が戻ってきて、婆ちゃんが元々の「光洋」を踏まえて付けたのが「克洋」だったというわけです。
結構字画とか気にした末に「光」を「克」に変えることにしたそうなのですが、どういう想いを込めてこの字にしたのかまではよく分からないまま3年前に婆ちゃんは94歳で亡くなりました。なんで聞かなかったんだろうなぁ。
「克洋」ってどんな意味があるんですか?
ただ、よく聞かれるんですよね。
「克洋」ってどんな意味があるんですか?
って。
恐らく後付けだとは思うんですけど母からは「困難に『克』ち、太平『洋』のような広い心を持て」ということで聞いた覚えがあるので、一応この説明をすることにしています。
そういう謂れだと大抵の人は納得するんですよね。
あー、なるほど。って。
ほら、この意味だと人の命名の由来っぽい噺じゃないですか。
だからこの質問に対してはあまり面倒なことにはならないんですよ。後付けにしては結構良く出来た由来ではあると思うんですよね。
っていうのも、この二つって結構自分のテーマになっているところもあって。
まぁ誰しもそうなのかもしれないですけど、特に私の場合何事も順調に運ぶことって無いわけです。どこかで壁が出てきて、それが大抵かなり厄介な何かなんです。
器用じゃないから考えて、反復練習して、試して。
それでダメだとまた考えて、練習して、試して。
このプロセスって苦痛なんですよ。
でも、不器用な奴が生きていくには嫌なことを続けるしかない。努力を重ねるしかない。そういう宿命のような何かをふっと思い出すことにはなるんですよね。「克」という字を見ると。
で、私は人が思っている以上に短気なものでして。
多分何やっても最初は上手く行かないし、周りよりも出来ないから自分に腹が立つんですよ。自分にもイライラすると、そういう自分をナメた目で見てくる周囲にも腹が立つ。だから怒ってばっかりになる。
でも、怒っても仕方ないんですよね。出来ないものは出来ないわけですから。だから私の好きな言葉って「仕方ない」であり「そういうものだ」なんです。
こういう資質を持って生まれたことを見越したかのように、上手く自分をコントロールできる一字を当てられたものだと思います。ただまぁ、「光洋」が却下になって「克洋」になったということには変わりないんですけどね。
ネット検索で一発で出てくるというメリット
で、2022年という時代を生きるに際して「西尾克洋」という名前で本当に良かったと思うことが1点ありまして。
それは、インターネット検索で絶対私のことが出てくるという点です。
「西尾」という苗字は少なくはないですがそんなに多くもない。そしてそこに「克洋」という結構少ない名前が付けられた結果、「西尾克洋」で検索するとほぼ私のことしか出てこないのです。
これはスポーツライターという立場だと本当にありがたいことでして、例えば私の名前がもっとありきたりなものだとしたらより有名な方の方が上位に来るわけです。
そうすると何が困るか?
クライアントが私にたどり着かないのです。
へー、西尾克洋ってひとが居るのか。
じゃちょっと検索してみよう。
っていう出来心みたいなきっかけで探し始めて、もし別の誰かが大量に出てきたらどうなるかといえば、もう諦めちゃうことも考えられます。
これが「相撲ライター」「スポーツライター」みたいな感じで検索してみたら私のウェブサイトとかNumber・現代ビジネスのサイトが出てくるなら問題ないんです。
ただ人っていろんな方法で検索をするし、でもそんなきっかけだから私にたどり着くまで全員がキチンと調べてくれるわけじゃない。だから、「西尾克洋」と検索すると一発で私の情報がスコンと出てくることはこの上なく大事なことなんです。この商売をしていると特に。
名前が持つ意味と、自分がそれを背負うということも大事です。ただ、案外今大事なのは自分を探し当ててくれることなのかもしれません。
だからと言って唯一無二の名前にしようとして奇をてらいすぎるのは問題だと思いますが、私くらいの名前だと本当にありがたい。この点についてはこの世に居ない祖父母に本当に感謝しています。たとえそれが、第二案だったとしても。
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