文化は幸福に影響するか?
最近、幸福度の国際比較の話題をよく耳にします。「ブータンは世界一幸福度が高い国」なんて記事を読まれたことがある方も多いのではないでしょうか。
そもそも幸福の定義なんて人によってちがうじゃん!と思われるかもしれませんが、実はその通り。様々な心理学調査によって、国の文化的特徴によって、ひとびとが幸福と感じる条件や文脈が異なるということが分かってきました。
「私の幸せ」 vs 「私たちの幸せ」
幸福度調査では、主に「主観的幸福」を測定する方法が用いられます。これは、回答者が自らの幸福度について主観的に答える調査手法です。
この主観的幸福を測定した調査で、アメリカやカナダなど個人主義とされる国々では、幸福感と「自尊心(自分に対する満足感)」には正の相関がみられました。幸福感が高い人は、自尊心の感情も同じく高いレベルで保持している、ということです。一方、インドやカメルーンといった集団主義の国々では、この相関関係が弱いことがわかりました。[Diener and Diener (1995)]
さらに、個人主義の国では「関係性と無関係な感情(例えば、自尊心や誇り)」が主観的幸福感を予測したのに対し、集団主義の国では「関係性と関連する感情(例えば、親しみや罪悪感)」が幸福感を予測したのです。[Kitayama et al. (2006)]
つまり、個人主義の国では「自分自身がどの程度満たされているか」が幸福と結びついているようですが、集団主義の国ではより「他人との関係性」で個人の幸福感を測る傾向があるようです。
「幸せ」の中身
具体的な幸せの中身や文脈についても、文化による違いが見受けられました。
幸せという言葉の自由連想を分析したところ、アメリカの大学生は「幸せ」という言葉から「ドキドキした気持ち・エキサイトメント」を想起しましたが、これらの強い感情は台湾の学生からは連想されませんでした。一方、台湾の学生は「温和な気持ち・バランスのとれた感じ」を回答する傾向がありましたが、アメリカの学生はこれらの想起をしなかったのです。ちなみに、「愛・友情」といった普遍的な概念は両国の間で共に想起されました。[Lu and Gilmour (2004)]
加えて、理想の感情を聞くと、アメリカ人は「ドキドキ」など強度の強い感情を挙げたのに対し、香港人は「温和な気持ちやリラックスした状態」をあげる人が多かったと言います。[Tsai, 2007]
このように、幸福感の違いは、個人主義/集団主義など、その国の文化的規範に大きく影響を受けていることが見て取れます。
具体的な影響力を考えると、例えば一神教、多神教といった宗教の信仰スタイルによる影響が考えられます。多神教では、多くの神々(やそれに匹敵するパワー)の関係性のなかで物事が語られますが、一神教は大抵の場合、絶対神と信仰者というシンプルな二項対立で物事が語られます。信仰スタイルによって物事を見るスコープが異なるために、幸福を語る際にも、それが個人の範囲に留まるのか、それとも周囲との関係性の中で語られるのかの違いが生まれるのかもしれません。
このように、その国が内包する文化やその人が育った環境の規範によって、個人がなにをもって幸福を感じるのかという条件付けが異なると考えられます。
では、日本人は、どのような幸福感の特徴を持っているのでしょうか。
個人主義のアメリカ vs 集団主義の日本
一般的に、アメリカは個人主義、日本は集団主義の国とされますが、ここでも幸福に関する反応の違いを見ることができました。
予想を裏切らず、アメリカでは幸福と「誇り」の相関が高かったのに対し、日本では幸福と「親しみ」など協調的人間関係に紐づく感情の相関が高いことがわかったのです。[Oishi (2009)]
さらに、目標の達成についても面白い研究がされています。
アメリカの大学生は、自分の設定した目標を達成したひとの満足度が上昇するのに対し、日本人の場合は家族や友人を喜ばせるために設定した目標を達成する方が満足度が上昇するというのです。[Oishi and Diener (2001)]
つまり、アメリカでは独立的な自己感がウェルビーイングに繋がる一方、日本ではより協調的自己感が幸福やウェルビーイングに繋がることが示唆されています。日本では、自分にベクトルが向いた行いよりも、誰か他の人を喜ばせることが自分の幸福感にとっても重要であるらしいのです。
他人の目を気にする「村人文化」
別の調査で、「人生の特定領域に関する満足度」を回答させた後に「人生全般に関する満足度」を測定するという調査を行なったいました。すると、アメリカ人は"最も満足している特定領域”を重視して人生全般の満足度を回答したのに対し、日本人は”最も満足していない特定領域”も考慮した上で人生全般の満足度を回答する傾向があることがわかりました。[Saeki, Oishi, et al (2003)]
なぜ日本人は、ポジティブ・ネガティブ両側面を考慮するのでしょうか。
この問いを明らかにするため、「他人から意外と見られていなかったと感じた過去の経験について思い起こす」という条件をつけて同様の実験を行ないました。すると、この条件を付与された日本人グループは、先ほどのアメリカ人と同様に、満足している特定領域を重視して人生全般の満足度を評価したのです。
この実験から、日本人の特性として、本当はポジティブな側面に焦点を当てたいと思っていたとしても、「他人から見られている」という意識が物事の正負両側面を見るように促しているということが示唆されました。つまり、どうやら日本人には、他人の目や評価を気にする(配慮する)意識が強く働いているらしいのです。
日本の伝統的精神性を裏付ける「村八分」という言葉が思い浮かびます。
日本人は長く農耕民族として生きてきて、村という集団からの孤立は死を意味する文化に生きてきました。このような環境では、幸せが周囲との関係性で語られる傾向にあり、他者の喜びが自身の幸福感に還元されることが多い反面、常に他人の存在を意識して、不用意に自分の幸せをアピールしないよう気を配る意識が働いているのかもしれません。
さらに、八百万の神々を大切にする精神性もありますから、幸福というものは自分の手柄ではなく、自然などコントロールできないものからの恩恵や運、そして周囲・環境との関係性の中にあるものである、という意識が強いのかもしれません。慎ましい精神性は美徳でもあり、私たちの心の奥底に根を張っている、過剰すぎるほどの「見られている意識」の裏返しでもあるようです。
「肌にあう」幸福をさがして
すこし話がそれましたが、国々によって、何が幸福を予測するかが異なり、それは各国が内包する文化や不文律による影響ということが分かってきました。
ふと訪れた外国の街で、私はここに暮らしたい!、と唐突に悟ったりすることがあります。それは言葉で言い表せない直感のようなものですが、もしかすると、その国が擁する幸せの基準が、あなた個人の幸せの基準にぴたりとハマったことを肌で感じた瞬間なのかもしれません。
出展
幸せの文化比較は可能か? 大 石 繁 宏・小 宮 あすか
人生満足度評定とアイテム・オーダー効果の文化差 佐伯 政男、大石 繁宏
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