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蓄積には時間がかかるけれど、失うときは一瞬〜水分補給と発汗の関係性を通じて〜
「蓄積には時間がかかるが、失うときは一瞬」
身体における「水分補給と汗」の関係性から。
身体を動かしていると、多少なりとも汗をかきます。
汗には体温調節や、不要な老廃物などを排出するなど、様々な機能がありますが、発汗そのものは私たちの意思でコントロールすることはできず、24時間365日、半ば自動的に発現し続けています。
たとえば、体が熱いと感じると自律神経である交感神経が活発化し、汗腺に体温を下げるように指示が出されるわけですが、汗の量やタイミングを自分の意思でコントロールすることはできません。
気付けば、私たちが自分の意思とは無関係に大量に汗をかいていた、ということも起こり得ます。
一方、発汗で体内から失われた水分やミネラルなどの補給は、経口補給などを通じて、私たちが自分の意思で行うことが必要になります。
経口補給は体内に吸収されるまで一定の時間を要しますし、胃の容量などの制約から一度に大量の摂取をすることは難しい。
ゆえに水分をあまり失っていないと感じていても、こまめに水分や栄養素を補給するように心がけています。
ヨガに取り組みながら「水分補給と汗」も含めて心身に向き合っていると、この「蓄積されるまでは時間を要するが失うのは一瞬」という関係は、身体だけに留まらず、色々なところに息づいているように思います。
たとえば、人間の信頼関係も一瞬で構築されるものではなく、一定の時間をかけて積み上がってゆくものだと思う一方、その関係性が崩れるのは一瞬…であることが多いのではないでしょうか。
身体にとってこまめな水分補給が大切であるように、人と人の間の信頼関係にもこまめな気遣いが大切なのではないか。
自戒の念も込めて、そのように思うわけです。
"共感する人"という考えを支持する人のなかでもッとも有名なのは、グラスゴー大学で道徳哲学の教鞭をとっていた教授、アダム・スミスである。一七七六年に刊行された『国富論』によって、今では資本主義の父として知られている。経済学者は総じて、スミスもホッブズと同じように、人間は不断に自己利益を追求するという考えだったと思っているが、完全に的外れだ。『国富論』の十七年前に著した、今ではほとんど忘れられている『道徳感情論』で、スミスは人間の行動における動機付けの研究に取り組んだ。それはホッブズの『リヴァイアサン』よりはるかに洗練されており、部分的には『リヴァイアサン』への直接の反論だった。
冒頭の一節からもそれは明らかだ。
「人間はどれほど利己的に見えようと、明らかにその本性のなかには、いくつかの行動規範がある。そのような規範に突き動かされて、ほかの人たちの運命に興味を抱き、自分にとって彼らの幸せが必要だと考えるが、そこからなにかを得ようとは思わない。ただ幸せな姿を見て喜びを感じたいだけなのだ」