共謀罪と向きあえる文学、そして子供に見せてあげたい場所について
衆院法務委員会で共謀罪法案の審議が行われている間、私はベトナムの詩人、グエン・チ・ティエンの詩を翻訳していました。
グエンはベトナムが南北に分裂しているときから共産主義政権に収監され、1960年から1991年の間に29年獄中生活を送りました。
同じようにスターリン政権によって10年以上投獄されたソ連生まれのノーベル賞作家と重ね合わせ、ベトナムのソルジェニーツィンとも呼ばれています。
一篇紹介します。英語からの重訳です。
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私の詩たち グェン・チ・ティエン
私の詩たちは詩ではなく
生命のむせぶ声でしかない
開かれては閉じられる獄舎の扉
肺の二つのへりから鳴る乾いた咳
記憶を地下から掘り起こす鍬の音
寒さと歎きで噛み合う歯
どこまでも縮むからっぽの胃
死に近づく心臓の当てのない鼓動
くずれる大地の真ん中からの無気力な声
生きることがたてる全ての音は
そう呼ばれる価値の半ばにも
死と呼ばれるにも値しない
詩にすらなれない音たちなのだ
1970
詩集Flowers of Hellから
http://www.vietnamlit.org/nguyenchithien/poems.html
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グエンは1960年から1977年にかけて獄中で詩を400篇書きました。
獄舎では書けないので記憶し、釈放された短い期間で紙に書き起こしました。1977年から1991年にかけての投獄、しかも裁判のない投獄は書き起こした国内で発表できない詩集の海外での出版を願いにイギリス大使館へ駆け込んだためにもたらされたものでした。
そして、そのような詩を彼が書きついだきっかけとなった投獄は、高校で生徒に日本を打ち破ったのはアメリカである、と教えたためでした。冷戦中の共産主義国家では日本を打ち破ったのはソ連ということになっていたからです。
グエンは表現の自由が認められていれば、その反骨精神を詩であらわすことがなかったかもしれません。
私たちはいま、文天祥や吉田松陰、ソルジェニーツィンやまたはマフムード・ダルウィーシュ、または『て、わた し』で取り上げた詩人の詩を読み、彼らの節を守る姿に感動します。
でも彼らの詩は作られるべくして作られたのではなく投獄や追放、または社会に対する反骨が言葉のかたちをとらざるを得なかったことだけは忘れてはならないと思います。時期と場所を得れば他の生産的なことをしたはずの人たちの叫びだと。
さて、自分の書いたものを「詩ではない」と記すことで逆に印象が深くなる『私の詩たち』を訳しながらしていたことがもう一つあります。
子供と一緒に遊ぶことです。
一歳になった息子ははっきりと意志の表示をするようになりました。
不用意に私が置いたボールペンを手に取り、新たなアイテムを手に入れて得意満面になっている彼から無理にボールペンを取ると初めは泣き真似をし、ボールペンを返してもらえないとわかると本気で泣きます。
ほかの遊びを提示して交渉すれば泣きやむことがほとんどですが、生まれたときから腹筋を使って泣く彼を見ていると、手は泣き止ませようと努力しつつ、心ではいまと変わらず頑固で気骨のある人になって欲しいと願う自分がいます。
ちょうどグエンのように。または、西郷隆盛の「幾たびか辛酸を歴て 志始めて堅し」という行のように。
http://www.kangin.or.jp/what_kanshi2j_f.html
そして思うのです。
息子が気骨ある人に育ったとき、自分の言いたいことを述べても、考えても、捕まらない社会であってほしいと。
私は表現の自由を脅かす全ての法改正に反対しています。共謀罪にも、自民党草案に基づいた憲法改正に賛成できないのも、息子が大人になったとき、一番活力があるときに自由であってほしいと願うからです。
治安維持法ができてから敗戦まで20年。
その間思想の弾圧は年を経るごとにきびしくなりました。新興俳句は弾圧され壊滅されました。
20年後、息子は21歳です。そのときに生きやすい場所に息子が住んでほしいと思っています。
法律も憲法も紙に書かれたルールブックに過ぎないのかもしれません。
しかし、いまのルールですら警察は人にぶつかり転びさえすればその人の属する集団を捕らえる理由を作れるのです。たとえサッカーの審判がわざと転んだと判定しても転べば理由がつくのです。
私の法律の理解が幼稚だと知りつつも、私はいま受けることのできる権利が侵される全ての行為に賛成することはできません。
気骨ある人が投獄され節を示すことでその人の精神を表すような場所はいりません。
私がほしいのは尊敬する人の言葉を学び、新たな地平でその言葉を生かせるような社会です。
そして、気骨ある人が尊敬する人とともに新たな地平を競技で作ってきた場所こそが五輪だと思っています。
この輝かしい祭典を作るために私たちの権利が妨げられるのは五輪の趣旨にもはんすることではないでしょうか。