実践的エニアグラムのすゝめ
前回の記事では、エニアグラムについて簡単に説明した。
今回は、我々はどうしてそのタイプになったのか、そしてエニアグラムをどのように活用すべきか、私のタイプも含めて書いていこうと思う。
エニアグラムは人間の本質であり囚われだと表現した。幼少期に親から受けた無意識のメッセージにより、子供は自分に何かが欠落している(=根本的恐れ)と感じ、身を守る術(=根本的欲求)を体得する。つまり、幼心に「もし自分に〜があれば、全てはうまくいくのに」と思い込んでしまうのだ。
《タイプ別》
・幼少期に両親から受けたメッセージ
・自分が何かを間違っているのではないかと感じる、根本的恐れ
・根本的恐れを補うために生まれる根本的欲求→それが屈折した場合
・自分自身を監視する内なる声(超自我)
タイプ1 改革する人(囚われ:怒り)
良識的で理想主義のタイプ
親から受け取るメッセージ…間違えるのは、良くない
根本的恐れ…自分が悪く、堕落し、よこしまで、欠陥があるのではないか
根本的欲求…高潔でありたい→批判的完璧主義に陥ることも
超自我のメッセージ…正しいことをすれば、大丈夫だ
タイプ2 助ける人(囚われ:プライド)
思いやりがあり、人間関係を重視するタイプ
親から受け取るメッセージ…自分のニーズがあっては、良くない
根本的恐れ…自分が愛されるに相応しくないのではないか
根本的欲求…愛されたい→必要とされたいというニーズに陥ることも
超自我のメッセージ…人から愛され、その人たちと親しければ、大丈夫だ
タイプ3 達成する人(囚われ:欺瞞)
成功思考で、実際的なタイプ
親から受け取るメッセージ…自分なりの気持ちや自分らしさがあっては、良くない
根本的恐れ…自分に価値がない、本来価値を持っていないのではないか
根本的欲求…価値ある存在でありたい→成功の追及に陥ることも
超自我のメッセージ…成功していて、人から良く思われれば、大丈夫だ
タイプ4 個性的な人(囚われ:妬み)
繊細で人から距離を置くタイプ
親から受け取るメッセージ…うまく生きられたり、幸せすぎるのは、良くない
根本的恐れ…アイデンティティや個人としての存在意義を持っていないのではないか
根本的欲求…自分自身でありたい→自己放縦に陥ることも
超自我のメッセージ…自分に正直であれば、大丈夫だ
タイプ5 調べる人(囚われ:ため込み)
強烈に思考する、理性的タイプ
親から受け取るメッセージ…世界の中で心地よくいるのは、良くない
根本的恐れ…役に立たず、無力で、無能ではないか
根本的欲求…有能でありたい→無用な専門化に陥ることも
超自我のメッセージ…何かに熟達したら、大丈夫だ
タイプ6 忠実な人(囚われ:不安)
真剣に関わる、安全思考のタイプ
親から受け取るメッセージ…自分自身を信頼するのは、良くない
根本的恐れ…支えや導きを持てないのではないか
根本的欲求…安全でありたい→信じている考えに対する執着に陥ることも
超自我のメッセージ…期待されることをすれば、大丈夫だ
タイプ7 熱中する人(囚われ:貪欲)
楽しいことが好きで、多忙なタイプ
親から受け取るメッセージ…いかなることでも人に頼るのは、良くない
根本的恐れ…必要なものを奪われ、痛みから逃れられないのではないか
根本的欲求…幸福でありたい→必死の現実逃避に陥ることも
超自我のメッセージ…必要なものを手に入れたら、大丈夫だ
タイプ8 挑戦する人(囚われ:強欲)
パワフルで、掌握するタイプ
親から受け取るメッセージ…弱みがあったり、人を信頼するのは、良くない
根本的恐れ…他者に傷つけられ、コントロールされるのではないか
根本的欲求…自分自身を守りたい→耐えざる闘いに陥ることも
超自我のメッセージ…強くて、自分がいる状況をコントロールしていれば、大丈夫だ
タイプ9 平和をもたらす人(囚われ:怠惰)
気楽で、控えめなタイプ
親から受け取るメッセージ…自己主張するのは、良くない
根本的恐れ…繋がりの喪失、分裂するのではないか
根本的欲求…平和でありたい→頑固な怠慢に陥ることも
超自我のメッセージ…周りの人が大丈夫であれば、大丈夫だ
少々堅い言葉にはなったが、各タイプ原因と結果がおわかりいただけただろうか。
ここで指す超自我とは、「〜すべき」「〜してはだめ」と自分を監視する内なる声だ。幼少期の両親の道徳観や社会規範などが内面化され、大人になっても影響を及ぼし続ける。
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ここからは、私自身のタイプとそうなった要因について考えてみたい。
タイプ4、5、9が主であった。
最初に断っておくが、私はかつての両親を責めるつもりも、幼少期を後悔するつもりも毛頭ない。ただ今回は幼少期による人格形成がテーマなため、少しばかり暗い話題になりそうだ。
タイプ4:個性的な人。常に荒れた家庭で育ったため、幸せであることに不安感を覚える。また、幼い頃から「いい子」を演じ続けていたため、本当の自分が何者であるのか分からなくなってしまった。アイデンティティは私の永遠の課題になるだろう。
タイプ5:調べる人。父親に対抗するためには知識をつけないといけないと思っていた。自分が無力であるから母親を守ることができないと自らを憎み、何かしら熟達したら父親に勝てるのではないかと考える。現在は、無知であることに恐怖を感じ下調べを入念にするものの、調べて満足ということが多々ある。
タイプ9:平和をもたらす人。これに関しては、自分自身が満たされていて、他人のことを思いやる余裕がある時に限る。両親に対し自分の思いを伝えることはほとんどなかった。怒られる、怖い、認めてもらえない、など様々な恐怖心から言わないことを選んだ。社会人になった今でも、「言わずが花」という言葉に囚われており、優柔不断で八方美人であると指摘される。
エニアグラムを利用すると、自分の厄介な習慣や自動的反応を「観察し、手放す」ことが出来るようになる。エニアグラムではフィルターのかかった状態で見る世界を否定する。「今、ここ」で実際に体験していることに目を向ければ、私たちはもっと自由になるはずだ。心の平和を享受しながら存在することは我々の生まれながらの権利である。
最後に…
幼少期に受けた心の傷という表現にピンと来ない人もいるだろう。そういう方は、普段自分がどのような「人間は〜であるべき」という義務感に苛まれながら生活しているかを振り返ってみてほしい。
この記事を読んでくれた方が少しでも囚われから解放され、「今、ここ」を大切に生きられますように。
参考文献
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