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一生懸命つくったものが、認められないと、やっぱり凹む?

魂を込めてつくったものが、まったく見向きもされなかったら。
正直、めちゃくちゃへこむ。

「これ、めちゃくちゃ考えてつくったのに…」
「こんなに時間をかけたのに、誰も興味ないの?」
「自分が価値あると思ったものが、世の中にとっては価値がないの?」

そんなふうに思うと、どうしても気持ちが沈む。

でも、よく考えてみれば、こういうことって日常茶飯事だ。
たとえば、本屋に行けば何万冊もの本が並んでいるけど、そのうちのほとんどは手に取られずに通り過ぎられていく。
ネットには毎日膨大なコンテンツが生まれているけど、そのほとんどは一瞬で流れていく。

だから、自分のつくったものがすぐに注目されなくても、それが「価値がない」というわけじゃない。
ただ単に、まだ届いていないだけ。

それでも、これは唯一無二なんだ


でもね、そんな「埋もれる」のが当たり前の世界でも、
自分にとっては唯一無二のもの なんだよ。

自分の考え、自分の感情、自分の経験が詰まっている。
だから、適当に流されたり、スルーされたりすると、やっぱり悲しい。

しかも、「もっとこうすればいいよ」とか「こういう考え方もあるよ」って言われると、素直に受け入れられないこともある。

なぜか?

それは、「今の自分自身と同じもの」だから。

つくったものは、自分の一部みたいなもの。
だから、意見を変えろと言われても、簡単には変えられない。
それは、「自分自身を否定された」ように感じるから。

でも、こだわりすぎると、苦しくなる


じゃあ、ずっとこのままでいいのか?

実は、1000記事くらい書くと、少しずつ変わってくる。
最初は「これは自分にしか書けない!」と思っていたものも、1000記事書いてみると、視野が広がってくる。

同じように、ココナラで1000件くらい相談を聞くと、
「え、こんな考え方もあるの?」って驚くことが増える。

そうすると、だんだんこだわりが減ってくる。

「これが絶対に正しい!」と思っていたことも、
「まあ、こういう考え方もあるよね」と思えるようになる。

もちろん、自分の唯一無二の部分は大切にしたまま。
でも、「それだけが正解じゃない」と思えるようになる。

1000回の経験が、しがらみをほどいてくれる


こだわりがあるのは大事。
でも、こだわりすぎると、視野が狭くなる。

1000回の試行錯誤をすると、その「しがらみ」が少しずつほぐれてくる。
「こうじゃなきゃダメだ」と思っていたものが、
「これもアリかもね」と思えるようになる。

そうやって、自分の考えも広がっていく。

でも、それは「自分を否定する」ことじゃなくて、
むしろ「もっと自分らしくなる」ためのプロセスなのかもしれない。

だから、まずは1000回。
つくって、出して、試してみる。

認められないことなんて、日常茶飯事。
でも、それがすべてじゃない。

1000回やってみたら、今とは違う景色が見えてくるかもしれない。

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長谷部悠斗//お話を聴くひと😽
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