私のファッションの移り変わり
こんにちは。
牧 菜々子です。
中学生くらいから、服に興味が出てきた私。
ミシンで服を作っていました。
高校生の時は、スカートはあまりはかず、ボーイッシュな格好をしていました。
大学生の後半は、ショートパンツにニーハイソックス(冬はニーハイブーツ)という格好をよくしていました。
先輩から「それ寒くないの?」と言われて、「寒いですよ!」と返しつつ。
マルイやルミネで、お財布と相談しながら服や靴をたくさん買っていました。
シマロン、ロック&リパブリック、シルバージーンズなどのデニムに、ミュールやTストラップサンダルを合わせたりもしていましたね。
社会人になってから、スカートを多くはくように。
憧れだったイエナやガリャルダガランテの服も、たまに取り入れられるようになりました。
プレーンパンプスをはきたかったけれど、自分の足では甲にストラップのないパンプスは脱げてしまうのだと理解したのが、この頃です。
あらゆる靴屋さんをめぐって、店員さんから「こちらの靴なら大丈夫だと思います!」と言われ続けても、ダメでした。
体のバランスとか、体に合う合わないって、あるんだなぁ、と。
だから、バランスを考えて、トップスの丈やスカートの長さを修理するようにもなりました。
ファストファッションを取り入れるようになったのは、かなり遅いほうでした。
どうしてかというと、ファストファッションは種類が多すぎて売り場で頭を使うし、おしゃれにするには難しかったからです。
でも百貨店ブランドよりも安いというのもあって、時間をかけられる時にはファストファッションで吟味するようにもなりました。
クローゼットは、服でいっぱい。
同じ服は、続けて着ない。
もっとかわいくなれる服が欲しい!
そんな考えだった私が、ハイブランドの服を着るようになったのは、結婚してからです。
夫は、上質なものを少なく持つタイプ。
というか、独身時代にひと通り上質なブランドのものを経験していたようでした(靴はジョンロブ、財布はベルルッティ)。
「一度見て来たら?上質なものは違うよ」と言われ、だんだんとブランド名を覚えていきました。
オブラートに包んだ言い方ではありましたが、それまで私が着ていた服の質を、夫は気にしていたのかもしれません。
着心地や、肌に触れる感覚を、そこまで気にしていなかった私。
当時はバーニーズニューヨークやドゥロワー、ドゥーズィエムクラスに入るのにも緊張していましたから、ハイブランドはめちゃくちゃ怖かった。
それでも、30代にもなり、生地感や質の違いもわかるようになっていきました。
それにしても、値段が高い。
トレンドを考えると、服もバッグも、やはり数は欲しい。
罪悪感と、初めての出産後のストレスもあり、ノイローゼに。
私にとって、ファッションは、必要なもの。
これといった趣味もない私には、服はただの「衣類」ではなく、かかるお金もただの「被服費」ではなかった。
好きなファッションをすることは、生きがいであり、自分に自信をくれるものだったのです。
今も、常にトレンドが頭にあり、それと自分との関係性によって、今日着る服が変わる。
そんな毎日を送っています。
これからひとまず念頭にあるのは、70代になった時の自分。
そこから先の人生も、自己表現をしつつ、その過程でドレスアップをする機会があるというのが、望ましい人生として頭の中にあります。
変わることを恐れることなく、進んでいきたいと思います。