「正しい」発信は伝わらないどころか攻撃されることもある
こんにちは。
牧 菜々子です。
発信をする時に、まず考えること。
それは、間違ったことを言ってはいけないということです。
では、正しければ、それでいいのか?
そうとも言い切れないから、難しいのです。
「正しい」発信は、印象に残らない。
それどころか、時として攻撃されることさえあります。
あおり運転の場合
たとえば、あおり運転をされるのは、「正しい」運転をしている時です。
スピードはゆっくりだし、信号も守っている。
何も違反行為をしていない車が、あおられるのです。
たしかに違反行為ではないのですが、お礼のハザードがなかったり、前に入る時の距離が近かったり、合流しようとする車を入れてあげなかったりする。
どれも違反ではないし、「正しい」からこそ、相手は不満のやり場がない。
だから、あおるしかなくなります。
「正しい」ということが、時として標的になるのです。
正しければ、みんなに認められるということには、必ずしもなりません。
発信の場合も、それと同じです。
正しさの枠を越える人についていきたくなる
正しいことを言えば、相手の心に届くというわけではありません。
決して正しいとは言えないけれど、人の心をつかむ発信というものがあります。
ましてや、今は「正しさ」が簡単に覆る時代です。
ということはどういうことかというと、正しいことを言っているつもりでも、すでにそれは正しくなくなっているということが、頻繁に起こるということです。
正しさに確信がなくても、声にしてみる。
そのリスクを負おうとする人を、人は攻撃しにくいものです。
だって、人々は、「一見正しそうなことを言うだけで責任を取らない人」にうんざりしているからです。
リスクを負おうとする人を攻撃しにくいのとは反対に、「自分は正しい」と信じて疑わずに、正しさを盾に取る人を、人は攻撃したくなる。
人間とはそういうものです。
正しい発信の枠を越える人に、人々はついて行きたくなるのです。