あおり運転がなくならないのは「交通ルールの範囲内で起こるから」
こんにちは。
牧 菜々子です。
後を絶たない、あおり運転。
どうして、あおり運転はなくならないのか?
それは、「交通ルールの範囲内で起こるから」です。
あおられるきっかけというのは、スピードも守っているし、信号無視もしていないし、という交通ルールの範囲内の行為である場合が多い。
ただちょっと遅すぎたり、近すぎたり、お礼のハザードがなかったりと、明らかな違反行為ではないけれどきっかけになるような行為があって、初めて、あおられるのです。
明らかな違反行為に対しては、意外とあおりません。
あおり運転がなくならないのは、きっかけになる行為が「交通ルールの範囲内」だからなのです。
交通ルールの空気感は変わる
どんな場合に、お礼のハザードランプを点けるべきか。
どのくらいの距離なら、前に入ってもいいか。
そういう空気感には、トレンドがあります。
時代によって、「交通ルールの範囲内」の空気感は変わるのです。
「交通法規があるのだから、空気感も何もないじゃないか」と思われるかもしれません。
ですが、その交通法規も、先に変わった空気感を後から追いかけて改正されます。
後から変わった法律によって、先に起こっていたグレーな行為についても有罪とされた裁判例もあります。
その交通トレンドに合わない場合、あおり運転のきっかけになります。
あおるほうは、相手の行為が交通ルールの範囲内であることは否定できないので、気持ちのやり場がなく、あおるしかなくなるのです。
空気を読むべきだと言いたいわけではない
たとえ交通ルールの範囲内でも、スピードが遅すぎたり、前に入られる距離が近かったり、お礼のハザードがなかったりすると、それが明らかな違反行為ではないからこそ余計に、あおり運転のきっかけになります。
「遅すぎる」という感じ方、「近すぎる」という感じ方、「お礼がない」という感じ方は、時代の空気とともに変わります。
先に交通トレンドの空気感が変わり、法律が後を追いかけます。
何も「空気を読むべきだ」と言いたいわけではありません。
そうではなくて、「世の中はそうなっています」と言いたいのです。
正しい行為が、引き金になることは、往々にしてあります。
「正しい」は、変わるのです。
違反じゃなくてもちょっと考える
あおられるのは、「違反をしていないから」です。
交通ルールの範囲内だから、相手は気持ちのやり場がなく、あおるしかなくなるのです。
違反じゃなくても、悪くなくても、「この距離で前に入っていいかな?」と、ちょっと考える。
「この場合は、お礼のハザードを点けたほうがいいかな?」と、ちょっと考える。
そういうことを、探り探りしていく。
それが、先に変わって行く交通トレンドをつかむことにつながります。
人々が「自分は正しい」というところに立ち止まっている限り、世の中のあおり運転はなくならないのです。