
お金はあるけどセンスがないという悲劇
こんにちは。
牧 菜々子です。
本棚の本を読み返していたら、こんな一節がありました。
「富を生み出す能力は、高貴な消費を促す能力とはかならずしも同じではない。」
(『美術は魂に語りかける』河出書房新社p188)
つまり、「お金はあるのにセンスがない」という悲劇は往々にして起こる。
ということです。
持っているお金をどう使うかにセンスが表れる
お金を稼ぐこと、蓄えることだけでは、いずれ立ち行かなくなる。
お金をどう使うか、どういうセンスを持って消費するかが、その先は大事になってきます。
持っているお金をどう使うかに、センスが表れるのです。
趣味の悪い消費が横行すれば、どうなるか。
どんなに低俗な商品でも、製作には地球資源や税金や労働力が費やされています。
それも全て、消費者が求めるから。
消費者が求めなければ、多くのものが犠牲になることもないのです。
資産家になってからセンスを磨くのでは遅い
資産家のセンスが悪くても、自分には関係ない。
そう思われるかもしれません。
でも、どんな人でも資産家になる可能性があるこの時代、実際に資産家になってからセンスを磨くというのでは、遅い。
そのことは、おわかりいただけると思います。
消費者のほうから求めていかなければ、社会の美意識や審美眼は、育ちません。
「お金はあるのにセンスがない。」
そうならないようにセンスを磨くことは、社会のため、地球のためにもなるのです。
感性を意識して活かす
「センスを磨く」と言っても、特別なことをする必要はありません。
あなたのままで、すでに感性を持っている。
その感性を、意識して、活かすだけです。
最終的には、アートから距離を置いてもセンスのある生活を営めることが、アートの実践。
それを頭に入れておくだけで良いのです。