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ピアニストの光と影~表現する喜びと苦しみ~
私の「もう一つの言語」とも呼べるのがピアノです。
何故、そう呼ぶかというと、幼少期から言葉を覚えるのと同時期にピアノを学んだからです。
これから「お子様にピアノを習わせたいな」と考えている親御さんや、
「もう少し上手にピアノが弾けるようになったらいいな」と考えている方々、
「厳しすぎるレッスンが嫌になってやめてしまったけれど、また弾きたいな」と思っている方々に向けて、
いわゆる「英才教育」を受けてきた私が、
「音大に進学し、クラシック奏者になる」という道ではなく、
「自分の好きなようにピアノを楽しむ」という道を選択し、今もなお自由にピアノを弾いて楽しんで、時に心の癒しにもなっている幸せを示すことで、
「こういう選択肢もあるのだ」という事を知っていただけると幸いです。
久しぶりのnoteでは、私のピアノに対する想いにフォーカスし、
良い想い出も、そうでない想い出も振り返りつつ、書いてみたいと思います。
才能を見出された幼少期
1歳で買い与えられたピアノ
幼少期。まだ1歳の幼かった私は、
オモチャのピアノを、とても上手に弾いたそうです。
もちろん自分では覚えていません。
母がとても誇らしげに、自慢げに語るのを、何度も何度も聞かされました。
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私がオモチャのピアノを、あまりにも上手に弾くので、
「この子にはピアノの才能がある!!」と母が思い込み、
まだ1歳半の私に、本物のピアノを買い与え、
私は椅子によじ登るようにして、本物のピアノの鍵盤をオモチャがわりに触って楽しむようになったのです。
4歳から始めたレッスン
言葉を覚えるのと同時期に、ピアノの音に慣れ親しんできた私は、
4歳からピアノのレッスンを受け始め、楽譜を読み、楽譜通りに弾く訓練をしました。
最初に教わった先生は、音符に色を付けて、
色鉛筆で好きな色を塗り、楽譜を読む楽しさを教えてくれました。
ド=赤 (初めの音は赤のイメージだった)
レ=黄色 (完全にレモンのレの影響)
ミ=オレンジ (ミカンをイメージ)
ファ=緑 (優しい響きに森林をイメージ)
ソ=青 (ソは青い空の影響)
ラ=ピンク (楽しそうなラララ♪をイメージ)
シ=紫 (なんとなく悲しそうなイメージ)
こうして書き出してみると、今でもハッキリと記憶しています。
これが、私が最初に感じた音のカラーとイメージでした。
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これらが組み合わさり、音階となり、一つの音楽を作り上げるのだということが、とても素晴らしいことに感じられたし、
ピアノという楽器の持つ可能性や奥深さに、凄く興味を惹かれて、
「もっと弾けるようになりたい!!」と強く思いました。
8歳から始まった英才教育
ピアノを始めた当初は、兵庫県神戸市に住んでいた私です。
自宅から徒歩で通える、地元のピアノ先生のレッスンを受けていました。
当時はまだ、私の親も、先生のキャリアや実力については、
特に何も考えていなかったと思われます。
5歳で、親の転勤により東京に引っ越してきた私は、
まずは普通に人並のレッスンを受けました。
でも、「楽しいな」と思って興味を持ったピアノであり、
更には親の期待に応えたいと思ってしまう性質が合わさり、
私のピアノは、どんどん上達していったのです。
ここで、母は「この子をピアニストにする」という夢を抱いたようです。
偶然にも、某有名音楽大学の現役助教授という立場の先生が、
自宅の近くの立派なお家にお住まいで、
母が何度も頭を下げて、私にレッスンを受けさせてくれるように頼みにいったと聞いています。
私はその先生の元で、いわゆる「英才教育」を受けることとなったのです。
厳しすぎるレッスン
憧れの先生
音大の助教授という立場上、その先生の元に習いに来る生徒さんたちは、
私以外は全員大人でした。
美しく、上品で、どんな曲でも初見(楽譜を見て初めて弾くこと)で演奏出来てしまう先生に、
強い憧れと尊敬の念を抱き、「私もこの先生みたいになりたい!」と強く思いました。
立派なお家に、広いお庭、二台並んだグランドピアノ、高級そうな家具、
お庭には美しいスピッツ(ワンコちゃん)、時折お見掛けする離れにお住まいの旦那様のご両親も、何もかもが素晴らしく、
私はその先生のご自宅の門をくぐる度、嬉しく誇らしい気分を感じると同時に、緊張して気が引き締まる思いでした。
本格的で厳しいレッスン
ピアノを楽譜通りに弾きこなすことはもちろん、
「聴音」と言って、耳で聴いた音を楽譜に書き起こすレッスンも同時に受けました。
最初は簡単な音から。次第に和音。更に曲へと進み、
先生が弾く音楽を、スピーディーに楽譜に書き起こし、
そのメロディーを私が歌い、先生がピアノを弾くことで答え合わせをするという形式のレッスンでした。
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これにより、「絶対音感」が鍛えられました。
いや、元々私はその「聴音」の能力については、
先生をうならせるほどに優れていたので、もしかしたら「絶対音感」は元々私に身についていた才能だったのかもしれません。
そして演奏について。
「楽譜通りに弾くだけなら、誰にでも出来る。ピアノで歌って。」
最初はその先生の言葉の意味が理解出来ず、
「ピアノで歌うってどうやるんだろう?」と試行錯誤しました。
それでもなんとなく、感覚がつかめるようになっていったのです。
小学生でありながら、様々な楽曲に触れることで、
感性が磨かれ、曲に込められた「作者の想い」のようなものまで、
感じ取れるようになっていったのです。
このことは、今現在の私の特性である「エンパス・HSP」の感覚を磨き、育てることにもなったように、今振り返ると思います。
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演奏スタイルについて。
言葉遣いや立ち居振る舞いについて、
私の親からも、とても厳しく躾けられましたが、
このピアノの先生は、私の礼儀作法の師匠でもありました。
レッスンを受ける服装について。
「遊びではないので、ノースリーブのようなカジュアル過ぎる格好では来ないで」
今思えば、そこまで厳しくなくても!と思うこともあるのですが、
当時は「プロの演奏家になる」という意識で取り組んでいたので、
師匠である先生に対して、弟子として失礼のないよう振舞いました。
礼儀作法について。
挨拶のお辞儀の角度や声のトーン、
ドアの開け閉めや、靴の揃え方、部屋に入る前に一礼。
もはやこれは、大人でも出来ない人達も多い、大人のレディーとしての礼儀作法です。
演奏者としての手や指について。
少しでも爪が伸びていれば、ピアノの鍵盤に触れてカチカチと爪の音がしてしまいます。それは望ましくなく、みっともない事であると教わりました。
また指先でしっかりと鍵盤をとらえてこそ、強く激しい音も、優しく柔らかい音も表現出来るのだと、爪はいつも短く整えていました。
成長期である小学生の頃からずっとそうしてきたので、今もなお「ピアノを弾く人の指の形」になっています。
更には、「最低でも1オクターブに指が届く手」である必要があり、
「手が小さく、1オクターブに届かないピアニストは、親指と人差し指の間を切開する手術を受ける必要がある」という恐ろしい話も聞いていたため、指を開く訓練を毎日のように行っていました。
ピアノを演奏する姿勢や指の形、美しい指使い、ペダルを踏む時の足の角度、開き過ぎず、閉じ過ぎない脚の開き加減、更には演奏中の表情にいたるまで。
小学生の私には、あまりにも厳しすぎるレッスンでした。
それでも、その基礎があるからこそ、
今でもライブやストリートピアノの演奏などで、自分の演奏を客観的に見た時、「美しく見える演奏の仕方」を学べたことに、とても感謝しています。
過度な期待
「一日でも練習を休めば、一週間分の遅れを取る」
これは、楽器を演奏する人達の共通認識だと思います。
小学生だった私も、もちろんその認識のもと、
一日も休まず、最低でも一日一時間、ピアノの練習を行いました。
家族旅行に行く際は、紙の鍵盤を持参し、
音は出ないのですが、指の訓練だけは毎日続けていました。
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当時は「サボりたい」という感情さえ持ち合わせておらず、
ただただ、学校で学ぶ勉強と同じか、それ以上の気持ちで、
毎日、真剣に取り組みました。
でも、当時の私は小学生。
遊ぶこともまた仕事のうちでした。
時に鉄棒や登り棒などの遊具に夢中になり、手にたくさんマメを作っては、
演奏に支障が出ないか心配され、
ピアノの発表会の前は、体育の授業で怪我をすることのないよう、
細心の注意をはらうように言われていました。
何かを極めるためには、何かを犠牲にしなければならない。
そんな事を学んだ小学生時代でした。
更に、親の転勤で東京に引っ越してきた私でしたが、
再び神戸に転勤があるかもしれないと親に聞かされ、
その事をピアノの先生に話したところ、
「もしそうなったら、先生が新幹線でまきちゃんのところに通って、レッスンをしてあげる!」
そこまで言ってくださる先生に感謝し、
親もまた、そこまで期待をかけてくださることに感謝しつつ、
「この子にはそれだけの才能があるのだ!!」と、
更なる期待をかけることに繋がったのです。
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実際、当時の私の実力と伸びしろは、自分で言うのもおこがましいですが、本当に凄くて、当時のピアノの発表会では、上手い人ほど後の順番で演奏するのが常でしたが、
小学校高学年にもなると、
一応「前座」として、音大生のお姉さま達を立てる意味あいで、
一番最初に音大生のお姉さまとの「連弾」形式で演奏をしたものの、
私のソロ演奏の出番は、もう一度あり、
それが本当の実力であると、知らしめていたことになります。
音大生のお姉さまたちが何人か演奏を済ませ、
5~6番目ぐらいに再び登場してくる小学生の私。
先生の生徒の中では、一人だけ子供であり、
異彩を放つ私は、周囲から異様な目で見られていたのです。
もはや、誰の目から見ても、
私は将来有望なピアニストになるだろうと、周囲の期待を一身に浴び、
当時はただただ、それを誇らしく思っていました。
※昨今のピアノの発表会における演奏の順番の事情は、昔と変化しているようです。優劣を付けること、それを順番で示すことを、あまり良くないと考える風潮により、年齢順にするなどの工夫がなされているようです。
才能を潰される
ピアノ教師を襲ったストレス
憧れのピアノの先生と、良い信頼関係、師弟関係で結ばれていると信じて疑わなかった私です。
でも、ある時期から先生の様子が変化していったのです。
それまで時折お見掛けしていた、離れにお住まいの先生の旦那様のご両親のお姿を、「最近見掛けないな~」と思ってはいました。
更には、レッスンにお邪魔した際、
時々お顔を見せて下さる、先生のお嬢様の表情に、
少し陰りが見えるようになって、「どうしたのかな?」と心配していました。
旦那様のご両親が体調を崩され、その介護をされているというお話を伺いましたが、その頃からレッスンの雰囲気がガラリと変わりました。
ストレスの捌け口にされる
元々、とても厳しい先生でした。
それでも、そこには愛があり、「将来を期待してくださっている」からこその厳しさであると感じられていました。
「全然ダメだ」と否定されることがあっても、
「ここをこういう風にしたら良い」と教えてくださったので、
素直に受け止められました。
ところが…。
ある時期から、レッスン中にイライラを感情のままにぶつけられる事が増えていったのです。
私が演奏していると、ピアノの低音部をガンガン叩いて中断させ、
「ダメダメダメ!!ぜんっぜんダメ!!」
とため息を吐かれました。
「まきちゃん、最近どうしたの?演奏に心がない。そんなんじゃ全然ダメ。今日はもう帰って!!」
レッスンを中断し、途中で帰されることもありました。
私は悩み、苦しみました。
大切で、大好きな先生に、私の演奏に心がないと感じさせてしまっている。どうしてだろう?
確かに最近、将来音大に進学するためには、勉強も出来た方がいいと言われたから、
両親が勉強にも力を入れるようになって、
進学塾に通わせ、中学受験に向けて勉強も頑張っているけれど…。
それがいけないの?
でも、ピアノも勉強も何もかも全部なんて出来ないよ。
どうしたらいいの?一体どうしたら?
先生を怒らせてしまうことが恐くて、
更に私は萎縮して、のびやかな表現でピアノを弾けなくなっていきました。
そして、感じていました。
「心がないのは先生の方だ!!先生に演奏に込められた想いを感じ取る心の余裕が無くなってしまったんだ!!」
もう頑張れない。
大好きだったピアノ。
大好きだった先生。
だからこそ、私はもうこれ以上嫌いになんてなりたくない!!
心が叫んでいました。
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次第に、ピアノのレッスンに行こうとすると、
玄関で足がすくみ、動けなくなりました。
期待をかけてくれている親にも、先生にも、
申し訳ない気持ちでいっぱいになり、
ただただ涙がこぼれました。
精一杯の私の身体からの抵抗でした。
とてもとても残念でしたが、
私はその時期を境に、大好きだった先生の元を去り、
「プロの演奏家になる」という夢を諦め、
「ピアノは趣味」と割り切ることにしたのです。
私に襲い掛かった悲劇
ピアノの英才教育を受けつつも、私は小学校高学年の間、
ずっとずっと家庭内では、実の父親からの性的虐待の被害に遭い続けていました。
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このことに関する記事は、以下を参考にしていただけますと幸いです。
それでも、ピアノを弾いていれば幸せを感じられたし、
親の期待にも、先生の期待にも応えられている「いい子」で居られたのです。
ピアノを趣味にするということは、
すなわち、他のことで親の期待に応えなければいけなくなったということでした。
元々、勉強も出来た私は、
進学塾ですぐにトップの成績をおさめ、
秀才の兄をも越える実力を見せつけました。
「この子は出来る!!」
親の期待を一身に背負い、それに応えようと精一杯努力しました。
でも、私は親からの過度な期待に応え続けることに、
次第に疲弊していきました。
そして、性的虐待で感じる不快感を、
これ以上、我慢し続けるわけにはいかない!!と、
そのことを母に進言し、問題にしました。
でも、今でも覚えています。
見て見ぬフリをしても、ずっと辛く苦しかった。
だけど、問題を浮き彫りにすれば、
そこから決して逃げられなくなり、
別の苦しさが発生してしまったということを。
自由に楽しく弾くピアノ
弾きたい曲を趣味として弾く
私は中学生になってから、近所の先生に、
「趣味としてのピアノのレッスン」を受けました。
それでも、その後どの先生について習っても、
決して満足することはありませんでした。
それ程までに、天才的に素晴らしい先生でした。
アーティストならではの情熱を秘め、激しさや怒りを感じやすいタイプであるからこそ、あんなに素晴らしい演奏が出来たんだろうと、
今振り返っても思います。
そして、自分もまたその先生の魂を継承し、
情熱的で激しく、更にはそれを鎮めるだけの穏やかさも持ち合わせた大人へと成長していきました。
中学生時代は、自分よりももっと育ちの良い、
裕福なお嬢様たちの中に身を置く事で、
ピアノが上手な人達も多く、ズバ抜けて一人だけ出来た小学生時代とは異なり、少し気が楽になりました。
ずっと基礎練習をかため続けてきたので、
有名なクラシック音楽を一度も弾かせて貰えなかった小学生時代と異なり、
「この曲が弾きたい」と思う曲を、どんどん演奏できたことは嬉しかったです。
でもそれは、ひとえに基礎練習という訓練の賜物であるということも、
理解していました。
次第に、「別に先生に教わらなくてもいいかな」と思い、
ピアノのレッスンに通うことを辞めました。
当時は、歌う事と演じる事の楽しさに目覚め、
「ミュージカルがやりたい」と強く思ったという理由もありました。
そんな私の略歴・自己紹介についてはこちらをご覧くださいませ。
ライブハウスでのピアノ弾き語り
19歳の頃、交通事故に遭った私は、左足首を骨折したことにより、
思うように踊れなくなり、「ミュージカル女優」という夢を諦めざるを得なくなりました。
そこから再び私が情熱を注ぎ込んだのは、ピアノでした。
中学生時代から、作詞作曲の真似事を始めていたので、
オリジナル曲を創作することに、何の違和感も、不安も感じませんでした。
それをピアノ弾き語りで歌う、ライブ活動を始めたのです。
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「ピアノ弾き語りにしては、ガッツリピアノを弾く人」
として、当時はご好評いただきました。
ただでさえ「難易度の高いピアノ弾き語り」という表現において、
ピアノの手を抜く事だけはしたくありませんでした。
「コードの和音だけを押さえるような弾き方はしたくない!」
「ボーカリストである前に、私はピアニストだ!」
そんな風に思いながら表現していました。
自由に、想いのままに表現できるライブ活動を行うことで、
「私はピアノを習ってきて本当によかった」と心から思いました。
当時はこのような感じでライブ活動を行っていました。
他の曲についても、以下の再生リストからご覧いただくことが出来ます。
夜のお店のピアニストとして
ライブ活動を行っていた頃、私は仕事(副業)でもピアノを演奏していました。
接客は私の仕事ではなく、あくまでもピアニストとしての仕事を行っていたものの、
私のピアノをお気に召してくださるお客様から、ご指名をいただき、
思わぬ形で「水商売」における接客を経験することとなりました。
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何故かピアニストでありながら、指名・売上No.1を誇り、
「トーク力」「対応力」「営業力」に磨きをかけることが出来たのも、
ひとえに「ピアノ」という特技あってのお陰様だと思っています。
容姿がズバ抜けているわけでもなく、
いわゆる「夜の女」という華やかな雰囲気でもない私が、
「知的なお嬢様キャラ」という新ジャンルで、お客様に愛していただけたのは、
「ピアノが弾ける」という強みがあったからだと思います。
暫く封印したピアノ
ライブハウスで演奏していた頃、曲を創作して歌う仲間たちと語り合う機会も多かったのですが、
皆、共通して言っていたのは、
「歌を創作して表現することには、苦しみを伴う」ということでした。
「”普通に家族皆で食卓をかこんで、笑顔で語り合って幸せだね”みたいな歌を創って表現出来たら、どんなに幸せだろうね。」
この言葉は、ある男性演者が語った言葉で、今でも鮮明に記憶しているほど、強く共感しました。
私自身もまた、創作し、表現する喜びを強く感じつつ、
私が当時、心から望んでいた、
「愛する人と結婚して、幸せな家庭を築くこと」とは、
どこかかけ離れたところにある世界だと感じていました。
創作活動に集中したい時は、
一人の時間を好み、「激しさ」「情動性」が強く出てしまい、
交際相手を傷つけ、苦しめた事も多くありました。
そして、愛する人と心がすれ違い、切なく苦しい想いを糧にして創作する歌は、時に預言詞のようでもあり、
「もしかしたら私は、歌の糧にする為に苦しい恋愛を追い求め続けてしまうのではないか?」とさえ感じていました。
ある時期を境に、私は、ただただ心穏やかに暮らしたいと願い、
ピアノを弾くことをやめ、更には恋愛も封印したのです。
ピアノとの共存
ピアノから遠ざかり、表現することを辞めた時期でも、
時々は思い出したようにピアノに触れてはいました。
練習しないと、どんどん下手になるので、
昔と比べて段違いに下手になったことが悲しく、
益々ピアノから遠ざかって生きてきました。
アーティスティックな一面を封印することで、
たしかに、心は穏やかで居られました。
その代わりとして、私が「表現者」として選択した手段は、文章と写真でした。
特に、「Webライター」として仕事で文章を書くようになってからは、
表現する喜びを、日々ひしひしと感じつつ、
自分は根っからの「表現者」であり「アーティスト」だと、再認識する日々でした。
再びピアノに触れる機会が増え、
練習を重ねれば、また昔と同じようなレベルでピアノ弾き語りが出来る喜びを噛みしめました。
そして、それを「ライブ活動」という形式ではなく、
TwitterやYouTubeなどを通じて、聴いていただけることを、
とても嬉しく思いました。
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もう、ピアノを弾いても、文章を書いても、
私は不眠や精神不穏に陥ることを、恐れずに居られる。
そんな風に感じていました。
表現者であること、アーティストであることを、諦めたくなんてない。
それは、幼少期から培ってきた私の一部であり、
その一面を見て見ぬフリをして生きるということは、
自分を押し殺して生きることになるのではないか?
そんな風に思いました。
恐らく私は、神様から音楽の才能をさずかって、
今もなお、「絶対音感」は健在であり、耳で聴いた曲を自分なりにアレンジして演奏する能力に長けているのです。
楽譜通りに表現する音楽ではなく、
自由に、想いのままに表現していくことが、
自己受容や自己肯定感に繋がり、何よりの癒しとなるのだと感じています。
以下の記事では、厳格な親への反発感から独創的な表現に目覚めた想いを、ブラックミュージックに例えて書きました。
更には、もし私が自由に奏でる音楽により、
誰かの心を癒すことが出来るのなら、こんなに嬉しいことはありません。
私は、この先もずっと、ピアノと共存していきたいです。
私に、厳しいながらも最高に素晴らしいレッスンをしてくださった先生に感謝しつつ、
また、その教育を受けさせてくれた両親にも感謝しつつ、
全ての経験を糧として、私は自分なりの音を奏でていきたいと思います。
YouTubeではこのような形式でピアノ弾き語りを動画で公開しています♪
おわりに
ピアノという楽器は、とにかく脳を鍛えるのに最高で、
習い事としては本当に素晴らしいと思います。
私の知る限り、ピアノが上手な人は全員、とても頭が良いです。
更に、プロの演奏家として育成するのならば、
幼少期からレッスンを受けさせる必要があります。
大抵の場合、物心がつく前から、
親の意向でレッスンを受けさせることが多いことでしょう。
その才能を見出し、才能を伸ばしてあげられるのは、
周囲の大人達だけです。
でも、幼少期からピアノのレッスンを受けてきた者の殆どが、
壁にぶち当たるのです。
「自分は本当にピアノが好きで弾いているのか?」
「親を喜ばせるために、親の期待に応えるために弾いているのではないか?」
「もっと他にやりたい事がある!もっと遊びたい!」
毎日練習しなければ上達しない楽器であり、
多大なる時間を費やして、情熱を込めて打ち込まなければ、
ある一定のレベル以上の演奏が出来るようにはなりません。
そこまでして、やる必要があるのかどうか?
最終的には本人が決めることです。
それでも、幼少期に覚えたこと、身に着けたことは、一生ものです。
脳の訓練のつもりで、ピアノのレッスンを受けること、受けさせることは、
是非オススメしたいです。
そして周囲の大人達に、特に気を付けてあげて欲しい事があります。
ピアノという楽器は、テクニカルな部分も大切ですが、
感情表現が重要な鍵となる楽器です。
そのため、幼少期からピアノに触れさせることで、
感性豊かで繊細な人間に成長してしまう可能性が高いです。
その鋭い感性は、その人の強みであり、弱みでもあります。
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周りの大人達が、大切にケアして、守ってあげられる環境が整っていてこそ、プロの演奏家への道が開けるものだと感じています。
繊細で感じやすい心は、とても素晴らしく、かけがえのないものであるということを伝え、どうか安心して演奏に打ち込める環境を整えてあげてください。
私のように、せっかく開花しかけた才能を潰され、
長年、その感性を封印して心の平穏をはかるようなことは、勿体ないと感じているからです。
実力だけでも難しく、環境だけでも難しい。
様々なご縁とチャンスに恵まれ、強い意志を持ち、
多くの困難に立ち向かい、「それでも表現したい!」という、
強い心の持ち主だけが、ピアニストとして活躍できるのではないかと思っています。
どのような形であっても、
ピアノという楽器を、一生のパートナーのように大切に演奏し続けられるのならば、とても幸せなことだと私は思います。
ピアノの演奏や、ピアノ弾き語りはいつでも、「冷静と情熱の狭間」です。
情熱的に感情表現をしつつも、どこかで自分を客観視し、
自己陶酔するのではなく、「伝える演奏」が出来てこそ、聴き手の心に届きます。
自分の心を整える力も、自己分析能力も身につき、
「弾けるようになるまで決して諦めない!」という根性も身につく、
素晴らしい楽器です。
自分の心を鏡のように写し出すピアノが、一時期はとても恐かったです。
でも、優しく穏やかな音色を奏でられれば、
「心の調律」が出来るような感覚をおぼえます。
この先、ピアノにより決して「音が苦」ではなく、
「音楽」の癒しを体感できる人達が、一人でも多く増えますようにと、
願ってやみません。
長文となってしまいましたが、最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。