毒親育ち~心に秘めた闇に光を~
今回は少し、私の闇の部分をお話させて下さい。
誰しも多かれ少なかれ、心に秘めた過去がある事でしょう。
私がどんな幼少期~小学生時代を過ごしてきたのか、この事を自己開示する事で、恐らくは私がnoteを開設した目的の半分は果たせると思っています。
心の闇の深さを知る者は、希望も深いと思うのです。
また、その闇を超えて来た強さは、その人が放つ光を強く温かいものにし、周囲の人達に勇気を与える事が出来ると信じています。
自らを癒してきた人間は、既にもう立派なヒーラーであると思うのです。
今回は、私の闇の部分に光を当てる事で、まずは自分自身を癒し、
この体験談が、誰かの心に何らかの希望を与える事が出来たなら、
私はとても嬉しく思います。
両親の不仲
まず、私の生い立ちについて自己開示をするにあたり、
避けては通れない事が、両親の不仲です。
いわゆる「毒親」の元で、私は育ちました。
恐らく私がここで自己開示をしない限りは、表面的には何の問題もない家族に見える事でしょう。
私は小学生の頃から、いわゆる勉強の出来る優等生であり、
「幼少期からピアノのレッスンを受けられる家庭環境」という事をとっても分かるように、そこそこ裕福な家庭で金銭的苦労をする事なく育てられたと思っています。
両親が私に与えてくれた環境と充分な教育には、感謝しています。
でも、私にとってそれは、大して重要な事ではありませんでした。
幼少期から両親の不仲をずっと見てきました。
母が父の愚痴を言い、いつも泣いていました。
泣きながら言うのです。
「まきちゃんが居るから、お母さんは離婚しないで我慢してるのよ。」
繰り返し繰り返し、聞かされるその言葉に、私は罪悪感を植え付けられました。私には兄が居るのですが、母はこうも言いました。
「お母さんはお父さんと結婚したけどあんまり酷いから離婚しようと思ったの。『もうダメだ!離婚しよう!』と思った時、〇〇(兄の名前)がお腹に居る事が分かったの。」
母はいつも悲劇のヒロインでした。
小学生の頃までは何の疑問も持たず、こんな風に思っていました。
「お父さんは、お母さんをいじめる悪い人。」
「私がお母さんを守ってあげなきゃ!」
私は常に罪悪感と緊張感を感じながら、安心して親に甘えて暮らす幼少期を過ごす事が出来ませんでした。
ただただ母の望みを叶えるべく、母が望むならと厳しいピアノのレッスンにも耐え、母の期待に応えようと必死になりました。
当時の私に、他に何か生きる術があったでしょうか?
また、どうしたら子供が生まれるのかを知り、
母が離婚を思いとどまる為に存在した兄はともかくとして、
その後に作られ、生み出された私の意味は何だろう?
私の命は作られるべきではなく、この世に生み出されるべきではなかったのではないか?
小学校高学年にもなると、次第に思いは屈折し、
同級生と手放しに楽しく遊ぶ事が出来なくなり、
「天才」という言葉でからかわれ、クラスの中で少し浮いた、
異質な存在となって行ったのです。
父親からの虐待
私の父親は人の心が分からず、キツイ言葉を投げつける人です。
今現在もそれは変わらない為、あえて現在形で書きました。
また、躾という名目で暴力もふるう人でした。
仕事人間で、家族を顧みることのない、頑固で厳格で、我儘な人でした。
そして、あろうことか、娘の私に性的虐待を行うような人でした。
こういう事を見聞きするのが苦手な女性も多い事と思いますので、
具体的な記述は避けます。
「一線を超える」行為ではなかったものの、
私にとっての初めての痴漢、初めてセクハラを受けた相手は、
紛れもなく実の父親です。
ボディタッチや言葉のセクハラの数々を不快に感じながらも、
それをあまり重く受け止めないように努めました。
性的な意味合いで受け取り、拒絶し、騒ぎ立てる事こそ、
父親の家族としてのスキンシップを、変な意味合いに受け取る、
「いやらしい娘」であるように感じたからです。
小学4年生~6年生、第二次性徴期を迎え、一番恥ずかしいデリケートな時期でした。
変化していく身体に触れられ、日常的にからかわれ、ひやかされ、
小学6年生のある日、中学受験の為の数学(算数)を父親に教わっていた時、疲れて横になった私に、覆いかぶさるようにして身体に触れた父親に、
言いようのない恐怖を感じました。
今でもハッキリと覚えている程、その時私は父親から「男」を感じ、強い嫌悪感と恐怖感を抱いたのです。
母に進言し、行為そのものはそれ以降無くなりました。
ただ、幾度となく繰り返された性的虐待から受けた心の傷は、
成長して行く度ごとに、私の心を容赦なく傷付け、蝕み、
誰かを愛し、愛される度に、苦しい思いをする事になったのです。
受け入れがたい事実に、自分の身体は汚れていて、とても汚らわしく、存在してはいけないのだと思い、その消えない過去を消す為には自分自身を消し去るしかないのだと、
何度も…何度も…自らの命を絶とうとしました。
湧き上がる怒り、悲しみ、憎しみ、それらを全て、
自分自身に向け、私は摂食障害の闇に落ち、自分の身体を傷付けていました。
何度も…何度も…本当は父親に向けたかったであろう刃を、自分自身に向けて切りつけました。
摂食障害については、完全に克服しているつもりではありますが、
未だにストレスが食事に出やすいのはこの為です。
それについては、また別の機会に。
母親からの虐待
我が家では父親からの虐待があまりにも悪質で、強烈であったが為に、
母もまた加害者であるという事に気付くまでに、時間が掛かりました。
ただ前述の、「離婚する決断の出来ない自分の弱さ」を子供のせいにする発言でも、もうお分かりかと思います。
・子供を自分の思い通りにしようとする事
・過度な期待をかけコントロールしようとする事
・自分の機嫌で子供を振り回す事
・無条件で愛する母性を持ち合わせていない事
・悲劇のヒロインを気取り子供に庇護を求める事
きっとまだまだ他にもある事でしょう。
父親から虐待は、とても「分かりやすい悪」かつ単純明快で、
関りを遮断すれば済みました。
ただ、私が後々まで苦しめられたのは、母親からの虐待の方でした。
母も私も、それを何一つ悪い事だと思っていなかった為、
まず、気付くまでに時間が掛かりました。
父親という共通の敵に立ち向かう同志のごとく、
母と私は、私の心が充分に成長するまで、深い共依存の泥沼を彷徨いました。
やがて私は成長し、多くの人達と関りを持ち、
母の異常さに少しずつ気付いて行ったのです。
まるで息をするように、毎日聞かされる父親の愚痴に対して、
何度か母に伝えました。
「お母さん、私はもうお母さんの愚痴を聞きたくない。」
すると母は、いつもこんな風に返答していたのです。
「あのね、これは愚痴じゃなくて普通の話なの!
まきちゃんは普通の話も出来ないのね!!
家族って言うのはね、何でも気を遣わないで言っていい相手なの!」
母の勢いに圧倒され、私は長年、自分のコミュニケーション能力にコンプレックスを持ち、自分は普通ではなく、人と普通に話が出来ない人間なのだと悩みながら生きてきました。
その後、友人をはじめ家族以外の人達との素敵なご縁に恵まれ、
また、仕事を通じて自分のコミュニケーション能力に自信が持てるようになるまでは…。
これはある意味、洗脳に近く、長年に渡り私を苦しめてきた母の呪いでもありました。
母との物理的な距離と心の距離を大きく取り、長い時間を置いた事で、
母の呪縛から逃れ、また、ありのままの私を受入れ、愛してくれる友人の存在に助けられ、私はまるで底なし沼のような共依存の泥沼から這い上がってきました。
心の闇を糧にして
私がこれらの出来事を完全に克服して、
今とても強く生きているのかと言うと、そうではないと思います。
私の中から、これらの事実が消えてなくなる事はないのですから。
ただ、自分自身が大人になり、私に対して不適切な言動を行ってきた親の年齢を超えた時、親もまた未熟で不完全な人間であったのだと気付きました。そしてまた、両親の育った家庭環境を思い、
親もまた毒親の元で育った事を理解し、受入れました。
人は、自分が愛されたようにしか、誰かを愛せないと言います。
また、私の両親がそうであったように、そして恐らくは両親の親世代に遡り、連鎖してきたものだと感じています。
私はその連鎖を、自分の代で断ち切りたい。
絶対にこんな悲しい思いを、自分の子供にはさせたくないと、強く思いました。私は子供が大好きで、友人の子供は全力で愛し、可愛がります。
でも、自分の子供は持たないと決意し、生きてきました。
子供が大好きだからこそ、生まないと決めたのです。
私は母から「普通の話も出来ない」と全否定された、
コミュニケーションや対話を、仕事としてのスキルで磨き上げ、
少しは自信を持つ事が出来ました。
また、幼少期から母を癒し、自分自身を癒してきた経験から、
「辛い時に何をどうして貰ったら嬉しいか」を学び、身に付ける事が出来ました。
もしかしたら、私のような人間が「癒し」に関わる事は、
あまり良くない事なのかも知れません。
不完全で脆い、諸刃の剣です。
でも、色々な経験をしてきた分、
共感出来る幅は広く、心に寄り添い、辛さを分かち合う事には長けていると思うのです。
こんな時、どんな風にして乗り越えてきたの?
どんな風にして立ち直ってきたのかを教えて欲しい。
私の体験談を話す事で、もし誰かの生きるヒントになるのなら、そんなに嬉しい事はありません。
いつか尽きる命なら、私は命ある限り、
私自身と私の周りにいて下さる人達を、全力で幸せにしたいと思うのです。
私は、自分の生きた証をここに綴ろうと決心しました。
もし、今苦しんている人達が居るのなら、伝えたい。
大丈夫だよ。必ず光が差し込む日が来るからね。
今は出口が見えなくて、とても辛いかも知れない。
一生抜け出せないのかな?って思うよね。
必ず時が来るから、今は静かに力を溜めていて。
私に出来たんだもの。あなたも出来るよ。
毎日とても恐いね。明日が来るのが恐いよね。
大丈夫だよ。今日一日。また一日。
毎日その繰り返しなんだよ。
いつの日か、いつになってもいいから、一緒に笑おうね。
あなたは決して一人じゃないんだよ。
おわりに
今回は大分ディープな自己開示で、私自身も思わず泣きながら書き綴った部分もあります。
昨日から始めたnoteで、自己開示による癒しを強く感じました。
自分の生き様を、あるがままに綴り、それが受け入れられた時、
この上ない、自己肯定感に包まれ、こんなにも自己承認欲求が満たされるものなのかと、改めて思いました。
カッコ悪い人生でも、闇の深い人生でもいいじゃない。
貴方は貴方のままで素晴らしい。そのままの貴方でいい。
いつもポジティブでなくてもいい。時には弱音を吐き、泣いたっていい。
私みたいな人間でも、なんとか生きているのだから、
貴方もきっと大丈夫だよ♪
最後まで長文をお読みいただき、ありがとうございました。
内容により、もしご気分を害した方がいらしたら、
申し訳ございませんでした。
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