見出し画像

忘れる機能が壊れた人

人間に備わった、とても優しく素晴らしい能力。
それは「忘れる」という事。

何でもすぐに忘れてしまう事が問題視されがちですが、
今回は、私のように「忘れる機能が壊れた人」のお話をしようと思います。

天才と呼ばれた10代

私は学力のピークが来るのが早く、
恐らくは、小学校高学年~中学生頃が最高に出来た時期だったと思います。

幼少期からピアノを習っていた事もあり、
とにかく何をやっても出来たのです。

※ピアノという楽器は、とにかく脳を鍛えるのに最高ですので、
習い事としては本当に素晴らしいと思います。
私の知る限り、ピアノが上手な人は全員、めちゃくちゃ頭が良いです。

ただし、関心のない事については「人並」だった為、
唯一、平均点程度だったのが「社会」(地理が苦手)ですが、
「地理の能力が欠落している!!」と、
親が騒ぎ立て、危うく病院に連れていかれるところでした。
(繰り返して言います。平均点程度は取れていました。私は、ただただ暗記をするだけの科目が苦手というか、興味を持てなかっただけの事です。)

テストで98点を取ってきた私に対して、
「この問題が出来ていれば100点だったのに!」と叱りつけるような、
正しく評価してくれない親の元で、私は常に緊張感を持ち、
パーフェクトで居るよう心掛けました。

ある意味、過酷な環境下の中で育った為、
常に上を目指す向上心根性が磨かれたと思っています。
※毒親育ちに関する記事はこちら

興味がある事に対しての記憶力はバツグンで、
教科書のどのページに記述があったのか、詳細を記憶する能力に長けていました。

これは私の「瞬間記憶能力」に付随するものであり、
後にその能力のメリットとデメリットを知る事となるのです。

勉強が出来て、ピアノが弾けて、学級委員長で、学芸会では常に主役、
作文や読書感想文がズバ抜けていて、毎回賞を取る私は、
クラスの皆から見て、少し異様だったようで、
「天才」と敬遠されるようになりました。

親からの虐待などもあり、どこか同級生に対して「俯瞰」した目で見るようなところがありました。
敬遠されたのは、そこら辺のところもあったのではないかと、
後から考えると思います。

この頃はまだ気づいていませんでした。
自分の「忘れる機能」が壊れている事に…。

トラウマによって開花した能力の可能性

小学生の頃、私は一生脳裏に焼き付いて消えないような、
トラウマを背負う事となりました。

それは、父親からの性的虐待です。
複数回に渡り、受けて来た性的虐待ではありますが、
最後に受けたものが強烈で、未だに鮮明に記憶しています。
※この件についての詳細記事はこちら

その時に開いていた算数(数学)の教材のページ、
解いていた問題、教わっていた内容、父親の口調。
「少し疲れたので休憩」と、私が大きくのびをして仰向けに横になった瞬間の出来事でした。

あの時の父親の酒臭い息、少しギラついた目つき、
冗談では済まされない触り方と、その感触。

全てが定期的にフラッシュバックして、私を苦しめるのです。
この衝撃的な体験こそが、私の「忘れる機能」を壊してしまったのかもしれません。

20代~30代の苦悩

記憶障害の母

私の母は、恐らく記憶障害です。
人に対して何か酷い事を言い、言った直後に忘れ、
「そんな事言ってない!!覚えてない!!」と本気で否定してくる人です。

言った言わない問題が家庭内で多発し、
母の無責任な言動に呆れ果て、私は前後の会話を含め、
鮮明に記憶しておく必要がありました。

何故なら母は、いつも私にこのように伝えたからです。

「そんな事言ってない!言うはずない!
だって私はそんな事を思っていないんだもの!
本当にそんな事を言ったの?
その前後の会話は?どういう経緯だったの?」

私を信用していない母は、自分で言った酷い言葉を本気で忘れ、
いつも泣きながら否定するのです。

本気で覚えていない人に対して、
前後の会話を含め、経緯を説明できなければ、
私の「嘘」であり、私の「妄想」であると、決めつけられてしまう事が悔しくて、いつでも私は「会話の再現」が出来る状況を作って身構えました。

そうして自分を守らなければ、
「妄想癖のある精神病」だと、母に決めつけられてしまうからでした。

父親からも、性的虐待を「覚えてない」と否定され、
母親からも、日常的に暴言を否定され、
私は、この世に起こった「ただ一つの真実」を、自らの記憶をもって証明していくより他、ありませんでした。

一時期、本気で自分の記憶や精神を疑いました。
特に10代の頃は、「私の勘違いかもしれない」「私がおかしいのかもしれない」と、まず自分を疑いました。

それでも大人になり、私は自分の記憶力に自信を持つようになっていったのです。

・他の誰とも「言った言わない問題」が起こらない事。
・仮に相手が忘れている事についても、私が前後関係を説明すると、
必ず事実を想い出してくれる事。
・母以外とは、「記憶違い」で揉める事が一度もなかった事。

これらの事から、やはりおかしいのは私の記憶ではなく、母の記憶の方だと認識しました。

・いつ
・どこで
・どんな状況で
・前後の会話
・話の経緯

まるで法廷陳述のような、事実証明を日常的に求められた私は、
自分で自分を守る為、会話の全てを記憶し、決してそれを忘れる事はなかったのです。

仕事では重宝された

私の「忘れる機能」は完全に壊れてしまい、
仕事においても、コールセンターの仕事で一度対話した人の情報は、
「異常」なまでに記憶していました。

何月何日、何時ごろ、〇〇さんというお客様と、こういうやり取りをして、こういう案内をした。

通常は過去のやり取りについて、
対応履歴の記録を探ったり、更に細かい情報については、
通話録音を聞き返したりして、情報収集する必要がありました。

ただし、私が過去に応対したお客様ならば、
私の記憶に刻まれ、お名前を聞いただけで瞬時に過去の情報が出てくるという、特技をフルに生かす事が出来ました。

一緒に働く仲間達にも、その事実が知れ渡り、
対応履歴に私の名前を見付けると、「いちいち通話録音を聞き返さなくて良い!」という共通認識となりました。
※大切な確認事項がある時は、もちろん通話録音を確認して貰いました。

今振り返っても、当時の私は「異常」だったと感じます。
その分、疲労感も強く、日常的にストレスを抱えていました。

副業で存分に能力を発揮

副業においては、少々裏街道を通ってきた私ではありますが、
例えば夜の接客において、
お客様の顔と名前、お酒の飲み方、煙草の銘柄、お話した内容、
それらを瞬時に記憶し、忘れる事のない私は、
お客様に対して「特別感」を演出する事が出来て、
あっという間に売れっ子になりました。

もちろん、記憶だけに頼らず、
メモに残す事も怠りませんでしたが、
すぐに書き残せない時も、一時的に記憶出来ていた事は大きかったと思います。

脳がパンクしそうになる

膨大な量の情報が入ってくると、
脳のキャパシティを超えてしまい、「あ、もう無理!!」という状況に陥ります。

中には不必要な情報も入り混じっていて、
それらを手放さない限り、新しい情報を入れる事が出来ないのです。

ただし、私は「忘れる機能が壊れた人間」なのです。
「忘れたい!」と意識すればする程、その記憶は最新情報として思い出され、
なかなか過去の忘却の彼方に消えてくれないのです。

今では年齢的にも大分、忘れる機能が働いてくれるようになり、
生きる事が楽になりましたが、
20代30代の頃は記憶力も良く、脳のキャパオーバーとなり、
知恵熱のように、時々熱を出して体調を崩していました。

そんな私にも対処法はあり、
時々死んだように眠り、長時間睡眠をとる事で、
脳内の情報が整理され、必要なものとそうでないものの判別をし、
そんなに必要でないものについては、小さく小さく折り畳んで、
引き出しに整理整頓をする作業が出来ていたと感じています。

必要な情報については、取り出しやすい引き出しにしまい、
瞬時に情報を取り出せるよう、整理出来ていましたので、
周囲の人達から見ると、「物凄く頭が良い人」という印象だったようです。

本人は、結構しんどい日々を過ごしていた為、
本当に疲れている時は、一日中、眠り続ける事もありました。

年齢と共に忘れ上手になる

母への証明を手放す

年齢と共に記憶力が衰えていく事は、周知の事実です。
私も例外なく、そうなっています。(笑)

年齢的なもの以外にも理由があり、
私は、記憶障害の母との距離を大きく開けた事と共に、
「もう二度と法廷陳述のような、会話の再現をしない」
と決めた事で、生き辛さが軽減されました。

完全に自立して、もう母がどうあがいても、
「私の記憶がおかしい」とか、「妄想」とか、
そのようなレッテルを貼られる事はないのだと、安心出来ました。

また、母に対して事実を証明しようと、
どんなに頑張ったところで、母は私が正しいという認識にはならず、
無駄な努力だと知った事で、その事を手放そうと決めたのです。

たとえ私が記憶していても、
「いや、覚えているし、事実だけど、貴女が忘れたのなら、もう別にいいです。」と、引き下がる事にしました。

母も歳を取り、以前にも増して「忘れる」事が増えてきた為、
いちいち相手にしていられないというのが正直なところです。

証明しようと頑張る事を手放した事で、とても楽になり、
新たな興味のある事に対しての吸収率が上がりました。

興味のある事に対しての記憶力は健在

自分が興味を持った事については、ある意味特殊能力である、
「瞬間記憶能力」が働きます。
「カメラアイ」とも呼ばれる能力です。

映像で脳裏に焼き付く為、その能力を使って記憶した事は、
基本的に一生消える事はありません。

ただし、この能力を使うと「とても疲れる」ので、
日常的には出来るだけ使わないように心がけています。

一昨年、副業Webライターの仕事を始め、
ライティングの基礎から何から、全くの未経験だった私が、
短期間かつ独学で、多くを吸収する事が出来たのは、
元々好きで得意だった事について、凄く興味を持って、
「楽しい」と感じたからこそ「瞬間記憶能力」を駆使して学んだからです。
また、クライアント様とは「知的変容型エンパス」で繋がり、
ご意向にそった記事を書く事が出来たのだと感じています。
※知的変容型エンパスについての記事はこちら

「瞬間記憶能力」を駆使せずとも、
年齢の割には、割と記憶力が良い方です。
多分それは、「記憶する能力」の方というよりも、
「忘れない能力」が高いからだと感じています。

良くも悪くも、「忘れる機能が壊れた人」なのです。

現在の「記憶」と「忘却」との付き合い方

視覚と聴覚、言語で落とし込む

私は本気で習得したい事は、自分で自分に聴かせる意図を持ち、
声に出して読み上げます。

視覚と聴覚を駆使し、記憶に落とし込むと共に、
自分なりの言葉でまとめ、「つまりはこういう事」をアウトプット出来る状態まで持ち込んだ事は、基本的に一生忘れません。

例えば自分なりの言葉でマニュアル化し、文章にまとめたり、
あるいは、誰かに何かを説明しようと、
文章に落とし込んだ事は、深く強く私の脳裏に刻まれます。

逆に言えば、これは「一生忘れられない」というデメリットにもなるのです。

嫌な事は忘れたい

何か嫌な事があった時は、出来るだけ記憶に残したくないのは、誰でも同じですよね。

例えば何か嫌な事があって、それを誰かに伝える必要があり、
言語化(特に文章化)してしまうと、私の記憶に深く強く刻み込まれ、
一生忘れられなくなるのです。

人生において、何より大切なスキルである「見て見ぬフリ」「サラリと受け流す事」が出来なくなる事ほど、辛いものはありません。

そういう時は、「話す事は離す事」を意識して、
対話を活用したいものです。

なんだか上手くまとまっていない状況ではあるけれど、
誰かに話しているうちに、心が整理されてくる事もあります。

その情報整理を単独で、しかも嫌な事があって弱った状況で行い、
「伝わりやすい文章」でアウトプットまでしてしまうと、
私はその事を一生記憶し、忘れられなくなるのです。
つまりは、私が何かを習得しようと記憶に落とし込む作業と同様の事を行うからなのです。

嫌な事があって、モヤモヤしている時は、
その心情を、ただ個人のメモとして書き出し、整理する為に使う分には良いのですが、弱った状況のままでアウトプットまですると、
あまり良い結果には繋がりません。

過去の認識を変える力を持つ

逆に言えば、私は文章を活用し、過去の認識を変える事に成功しています。
自分史のかわりにnoteを書き綴る事で、過去の体験を少しずつ言語化(文章化)しています。

私が初めて書いた自分史は、忘れもしない17歳の頃。
タイトルは「Fate」つまりは、少しネガティブな意味での「運命」。
ポジティブな意味合いを持つ「destiny」と違って、「fate」は「決められた運命。定め。自分の力では変えられない運命」というような意味合いを持ち、悲観的な場面によく使われます。

ノート3冊にも渡る、私の「絶叫」であり「叫換」でした。
あまりに辛い現実が、10代の鋭い感性のままに描き出され、
阿鼻叫喚の悲惨さ極まりない内容が綴られ、
手書きの文字は乱れ、涙の跡の滲むノートの記録。
読み返すのも辛く、一昨年の断捨離の際に処分しました。

あの時は、それを書く事が心の拠り所だったし、
書いた事で、気持ちを整理出来たと記憶しています。

あまりに生々しい記録を焼却処分し、
今後、自分が前向きに生きていけるような文章で、自分史を書き残したいと考えました。

その場所として選んだのが、noteです。
「書籍化」も考えました。
でも、私は無料noteにする事で、多くの人の目に触れる事を選択しました。

私が生きて来た軌跡を示す事により、もし誰かの力になれたら、
私の人生が無駄ではなかったと感じられるからです。

だからこそ、このnoteでは私の波乱万丈な人生を包み隠さず記してはいるものの、今はとても幸せである事。
色々な事があったけど、全て無駄ではなかった事。全てが今の幸せに繋がっている事を、何度も繰り返し書き綴っています。

もちろん、今現在の嘘偽りのない真実ではありますが、
私は自分で自分に、その言葉を投げかけ、
過去を受容し、肯定しているのです。

過去に起きてしまった事実は変えられないけれど、
過去の認識を変える事は出来る。

その為、出来るだけポジティブな記録として書き記す事で、
自らの癒しへと繋げているのです。

また、幸いな事にTwitterを通じて、
多くの人の目に触れる機会を頂いています。

過去に、私と類似した経験を持つ女性が、
何人かご連絡を下さいました。

もう、それだけで私は、これまでの過去が無駄ではなかったと思う事が出来るし、こうして文章化して本当に良かったと、心から嬉しく思うのです。

能力との共存

「知的変容型エンパス」「瞬間記憶能力」など、大分特殊な一面を晒している私ですが、年齢と共に、それらの能力との共存が上手くいくようになってきています。

人並に老化し、記憶力の衰えと共に、「忘れる」事も増えてきました。

特殊な回路を閉じる事。
能力をコントロールする術を身に着ける事。

これこそが、「生き辛さ」から抜け出す鍵だと感じています。

その為、私は今現在、ある治療院で脳波のトレーニングを受けています。
ニューロフィードバックと言って、私も最初の頃は怪しさしか感じていませんでした。(苦笑)

これについては、また別の機会に別の記事で書く予定ではありますが、
元々持っている能力を消し去る事は出来ないものの、
リラックスするべき時に、きちんとリラックス出来る状態に改善していく事。
更には私の長所である「クリエイティビティ」を活かしたうえで、
隣り合わせとなる、不安や恐怖、孤独を感じる事無く、
安心して能力を発揮できる状態に改善していく事。

これらをテーマに取り組んでいる状況です。

ニューロフィードバック療法を受け始めてから、もう半年以上になりますが、
一言で言うと、「脳内の断捨離が出来て、スッキリした」という感じです。
恐らくは脳の中に溜め込んでいた不要な情報の数々が、整理整頓され、
必要な情報が整理され、取り出しやすくなった状況なのだと思われます。

更には、クリエイティビティの活性化により、
以前にも増して、文章化が得意になりました。

これについては、最近ご縁を頂いた大変優秀な方の、
論理的思考や、人や物事の本質を見抜く能力を頂きたくて、意図的に知的変容型エンパスを発動させた事も、大きな要因だと思われます。
とかくエモーショナルに偏りがちな、私が元来持つ思考とのバランスが取れ、
「伝える文章」を書くスキルが上がりました。

今後のテーマは、「休むべき時にきちんと休む事が出来る脳」なので、
治療を継続していきたいと思っています。

おわりに

私はきっと、今でも「忘れる機能が壊れた人」なのです。
意図的に休まなければ、すぐに脳のキャパシティを超えて、
パンクしてしまいそうになります。

でも、そのサインに気付くのが早くなった事で、
あえて「何もしない日」を作る事も出来ています。

デジタルデトックスの重要性も思い知り、
最低でも週に一日は、「パソコンもスマホも見ない日」「文章を書かない日」「ピアノも弾かない日」を設けるよう、心掛けています。

今後も私は、神様にお恵み頂いた能力をフルに活かして、
上手く共存していきたいと考えています。
そしてまた、それが出来ると信じています。

最後に。フラッシュバックに苦しんでいる人達へ。

過去の記憶がよみがえる時、とても恐いね。
凄くすごく苦しいよね。
でもね、今あなたの身に起きている事ではないのよ。
過去にそんな事があったな~と、静かに受け止めて。
やがて、浮かんでくる回数が減り、
鮮明さも少しは薄れてくるから大丈夫よ。

あなたはもう過去のあなたではないの。
今のあなたは、大人になって強くなったのよ。
鏡を見て、微笑んでみて。
色々あったね。でも今を生きている。
明日も生きようよ。私と一緒に…。

今回も長くなりました。
7000文字超えの長文を、最後までお読み頂いた方、ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?