アントニオ・タブッキ「インド夜想曲」、そして「マドラス行きの列車」のこと
今年に入ってから100冊以上の本を、20本以上の映画を手に取って気づいたことがある。それは読んでからしばらく頭に残る作品がある一方、手にとったことすら記憶から消える作品があるということ。そして残念ながらしばらく頭に残る作品というのは、思っていたよりずっと少ない。
そんな中、しばらく、どころか、一生覚えていそうな作品に出会った。それがアントニオ・タブッキ原作の映画「インド夜想曲」と彼の小説「マドラス行きの列車」だ。
まず映画版の「インド夜想曲」の凄さは、原作の小説を読んだ際に頭に浮かんだ情景と感情が再現されていることだった。
特に小説を最後まで読んだ後、狐につままれたような気分になるのだけど、それまでが完璧に再現されていた。映画監督もすごいし、そんな映画を作らせる原作を書いたタブッキという作家の凄さを感じた。
が、この映画が私にとって特別なのはそれだけじゃない。タブッキの別の短編集「とるにたらないちいさなきちがい」に収録されている「マドラス行きの列車」のエピソードが、この映画「インド夜想曲」と合体されていること、そして原作にはないセリフを多く補完したことで、原作以上に、主人公が出会うあるユダヤ人の背負う重い過去を際立たせたことだ。私はこのシーンが近年観た映画の中で抜群に心に刺さり、巻き戻して何度もみた。
筋書はこうだ。マドラス行きの列車で主人公はひとりのユダヤ人と出会う。その男はペーター・シュレミールという偽名を使っていて、主人公がそれに気づくと、恐らく第二次世界大戦中のことと思われる身の上話を始めた。
ドイツ人に裸にされ身体を検査されたこと、その最中、医師の机にあったシヴァ像に目をとられたところ、それをみたドイツ医師が言ったこと。
この像は輪廻をあらわしています、とかれは言いました。あらゆるしがない存在が輪廻に入らなければならないのは、美という生の至上の形式に達するためです。この像を生んだ哲学も予見していた生命循環の輪において、来世では、現世であてがわれたよりも高い位にあなたがつけるよう祈っています。
(中略)その彫像は踊るシヴァ神の似姿でしたが、当時そのことは知りませんでした。もちろんわたしはまだ生命循環の輪に加わってはいないのですが、わたしはその像に別な解釈をしています。毎日そのことばかり考えてきました。あのときからずっと、ただそのことだけを。
アントニオ・タブッキ「マドラス行きの列車」
それが映画ではこのようなセリフとなっている。
この彫像は生まれ変わりの輪を表している。人類のクズや出来損ないの劣等民族はいつかこの輪を通って生まれ変わり生の最も優れた形すなわち美に達するのです。いつか君も生まれ変わるチャンスがある。人類の指導民族アーリア人に。(中略)
その像はナタラージャと呼ばれるシヴァ神でマドラスにあります。もちろん当時の私は知らなかった。(中略)このとおり私は生物学的に再生してはいない。私の彫像の解釈は彼とはまったく違う。あの時から私は毎日それだけを考えてきた。45年間もね。
映画「インド夜想曲」
先に小説を読んでから映画をみた私はこの場面を観て、人間はここまで驕りたかぶれるのか、そしてここまで人間を貶められるのか、が衝撃だった。ただその衝撃を原作で味わった記憶がなく戸惑った。調べたら原作にはないエピソードだった。そしてその場面の原作「マドラス行きの列車」を手にとったら、原作は思いのほか控えめな表現で拍子抜けした。それは映画版でなければ、私はこのドイツ人医師の言葉の真の悪意に気づかなかったほどで、他の場面が原作ほぼそのままな分、大いに戸惑った。
あれだけ完璧に小説「インド夜想曲」を再現したのに、なぜ敢えて原作にはないこの「マドラス行きの列車」を付け加えたのか。そして原作では言外に匂わされているだけの内容を、なぜここまではっきりとしたセリフにしたのか。
それはこの映画の関係者がタブッキの「マドラス行きの列車」を読み、衝撃を受け、それを映像化したいと願ったからではないかと思った。更に原作では言外に含まれていることを、敢えて観客に向けて言葉にしたのは、この映画に関わった人たちの明確な、過去に行われたジェノサイドに対する償いであり抗議なのだと私は感じた。
思い返すと、映画の中でこのシーンはぼんやりと浮いている。
そこで語られたことと、小説で本来語られなかったこと。実際の歴史と、物語の登場人物としてのペーター・シュレミールの過酷な過去。それを言葉にしたタブッキ、その物語を更に力強い映像として出した映画製作チーム。
それぞれの胸の内を思うと、そのことを考えていると、言葉にならない気持ちが胸にこみあげる。人間の持つ残酷さと、それが別の人間に与えうる傷の深さ。ただそれを経験していない人間がきちんと言葉にし、他の人間に知らしめ、戒めた。
だからこの映画は、そしてこの小説は、一生忘れられないな、と思うのだった。